2020 年 4 月 12 日 イースター礼拝の説教要旨

2020 年 4 月 12 日 イースター礼拝説教

「いやすことができるお方」

 

マルコ 1 章 29-39 節、ローマ 5 章 5 節

【癒してくださるイエス】

権威をもって悪霊を追い出された主イエスは、ペテロのしゅうとめの病を癒します。

今までにないコロナの中にある私たちは、主に病の癒しを祈ります。だれひとりコロナで命を失うことがないようにと。けれどもすべての人が癒されるわけではありません。

では、主イエスは癒し主ではないのか。力のないお方なのか。もちろんそうではありません。主イエスは本当の癒し主です。シモンのしゅうとめに起こったことは、ただ病が癒されただけではありませんでした。

「イエスはそばに近寄り、手を取って起こされた。すると熱がひいた」の後に「彼女は人々をもてなした」(31)とあります。つまりイエスの癒しには目的がありました。

それは癒された人が主に仕える者になること。新しいいのち、新しい生き方、新しい生きる意味と目的を与えること。癒されてイエスと共に神の国に仕える者になることでした。

私たちが病の癒しを願う祈りは主に聞かれています。私も病の方がたの癒しのために祈っています。けれどもそれよりもさらに祈るのは、私たちの病ばかりかたましいも癒されて、主に仕えることを喜ぶ者とされることです。生きましょう。力のかぎり。

与えられた命のかぎり、主と心ひとつに。主の関心が私たちの関心であるように。

主の喜びが私たちの喜びであるように。父が金曜日ホスピスに入りました。

きっかけになったのは月曜日。脳貧血を起こし、ほとんど絶命しそうになりました。

しばらくして不思議に息を吹き返したのですが、そのとき父は「もう、いいんだ」と言いました。それが次の日、手の届くところにロープを張ってほしいと言います。そこにいろんなリモコンをずらっと並べてぶらさげました。自分でベッドの上げ下げなどもできて、少しでも母を休ませると思ったのでしょうか。

「もういいんだ」と力の限り生きることは、矛盾しないのだと思いました。ルターは「もし明日世界が終わるとしても、私は今日りんごの木を植える」と言いました。

コロナの中にあっても私たちは生きます。愛を注ぎ続けます。今日イースター。

二千年前の今日復活された主イエスの与えてくださった新しいいのちによって。

【黙らせてくださるイエス】

「イエスは、様々な病気にかかっている多くの人を癒やされた。また、多くの悪霊を追い出し、悪霊どもがものを言うのをお許しにならなかった。彼らがイエスのことを知っていたからである」(34)とあります。

先週の汚れた霊に続いて、悪霊どもが出てきます。どんな悪霊だろうか、と想像をたくましくする必要はありません。「ものを言う」とは主の支配に抵抗すること。そして、私たちを自分たちの支配の下に押さえつけ続けようとすることです。

罪の力は今も働いいます。コロナの中で、神さまなんかいないと信じこませようとします。絶望させ、世界を分断し、自分のことだけ考えさせて、弱肉強食の悲劇をもたらそうとします。

抵抗するには私たちはあまりに非力です。けれどもイエスは、「悪霊どもがものを言うのをお許しにならなかった」のです。今もお許しにならないのです。

私たちをギュッと抱きしめて「だいじょうぶだ。わたしは罪の力にあなたを引き渡しはしない。あなたはわたしとひとつの心で生きることができる。わたしがそうさせてあげる」と、おっしゃるのです。

【祈ってくださる主イエス】

「さて、イエスは朝早く、まだ暗いうちに起きて寂しいところに出かけて行き、そこで祈っておられた。」(35)とあります。イエスは朝早くから祈られました。

私たちはこういうところを読むと、「自分たちももっと祈らなければならない」とか「自分の祈りが足りないから聞かれないんだ」などと考えがちです。けれども私たちよりもはるかに私たちのために祈っている方がいる。

それは、イエスさま。あなたが祈れないときも、イエスさまがあなたのために祈ってくださっているのです。このときも弟子たちは祈ってはいません。彼らは朝起きたらイエスさまがいないので、探していただけ。

探しているうちに群衆を離れ、イエスとだけいっしょにいることになりました。その彼らに、主は「さあ、近くにある別の町や村へ行こう」(38)とおっしゃいました。ガリラヤ全域(39)への旅が始まったのです。

主イエスは私たちといっしょにこの世界を回復したいと願われます。まず私たち自身が回復され、そして私たちとまわりの人びととの関係が回復されることによって。

コロナに痛んだ世界にも私たちは回復をもたらしていくことができます。愛によって、主イエスとともに。神さまの胸の中で生きた人は、神さまの胸の中で死に、神さまの胸の中で復活します。

パウロが言うように「この希望は失望に終わることがありません」(ローマ人への手紙 5 章 5節)。