2020 年 4 月 19 日の説教要旨

2020 年 4 月 19 日 第三主日

礼拝説教「イエスのおこころ」

マルコ 1 章 40-45 節、レビ 13 章、ローマ 5 章 1-5 節、へブル 10 章 25 節

【きよくなれ】

汚れた霊や悪霊を追い出し、病人をいやされた主イエスは、今日の箇所でこれまでとはちがったことをなさいました。「きよくなれ」(41)とおっしゃって、ツァラアトをきよくされたのです。

ツァラアトはレビ記 13 章に出てくるいろいろな皮膚の症状です。当時の人びとにはツァラアトの原因はわかりませんから、経験的に伝染の危険がありそうだと判断すると、とにかく隔離しました。

隔離された人は、町の外に住み、だれかが近寄ってくると「汚れている、汚れている」(レビ 13:45)と叫ばなければなりませんでした。ツァラアトは今すぐいのちにかかわるものではありませんでしたから、宣告を受けた人の痛みは病というよりは疎外でした。

今もいじめの問題がこの国を苦しめています。人とちがうことは祝福のはずです。たがいに補い合うことができるのですから。けれども、疎外されることをたがいに恐れ合って、分裂し、攻撃し合うことが容易におこっています。神さまの胸の中で安心することをしらないのが原因です。

コロナの今も世界中が協力し合うときです。けれども、たがいに非難し合ったり、自分のことだけを考えて買い占めたり、むとんちゃくに過ごして社会を危険にさらしたりすることも起こるのです。主イエスがツァラアトに冒された人にされたのは、単に皮膚をきれいにすることではありませんでした。

祭司から「きよめられた」という宣言を受けて、仲間のところに帰ることでした。疎外から共に生きることへとこの人は回復させられたのでした。主イエスは、神さまとの関係、人との関係、被造物との関係を回復させてくださるお方だといつも申し上げているとおりです。

「きよめ」とは特殊な経験をすることではありません。また他の人が追随できないような“霊的な”人になることでもありません。三つの破れを回復されて健やかになりつつある人のことなのです。

【主イエスのお心】

ツァラアトに冒された人が「ひざまずいて懇願した」(39)を読むと、この人は祈ったから、とか、この人が立派な信仰者だから、きよめられたのだ、と思うかもしれません。

けれどもそうではありません。主イエスは「わたしの心だ。きよくなれ」(41)とおっしゃいました。「イエスは深くあわれみ」(41)は、はらわたが動くほどにということば。

腸ねん転というのはとても痛いそうですが、主イエスのお心は痛みました。仲間から切り離されて、「汚れている」と叫び続けなければならない人の姿にはらわたがちぎれるほどに痛んでくださり、「あなたの回復はわたしの心だ。あなたが願うまでもない。わたしはあなたを回復する。どんなことをしても」とおっしゃって、十字架に架かってくださったのでした。

それは私たちのためでもありました。イースターにローマ教皇は異例のライブ配信で説教を行いました。「わたしの希望、キリストは復活されました!」と始め、「復活の主は、十字架につけられた方です。その栄光ある体は消し難い傷を持っています。その傷は希望を通す場所となりました。復活の主に眼差しを上げましょう。苦しむ人類の傷を癒してくださるようにと。」と結び、聴く人の胸を打ちました。

父が火曜日に召されました。寝ているうちに安らかに。気性の激しい人でしたが、53 歳で受洗。その後、だんだんに変わっていったように思います。最後に守った礼拝は、御影福音教会のズーム礼拝。

なんとか身支度を整えて、終わるまでに間に合ったそうです。それはみ言葉を聴きたい、仲間の顔を見たい、と願ったのでした。父もまた主イエスに傷によっていやされた人であったと思わされます。

父の好きなみ言葉は、ローマ書5章1-5節。「神の愛が私たちの心に注がれているからです」で終わる箇所でした。

【出て行ってふれ回り】

ツァラアトに冒された人、いえ、ツァラアトを癒された人は、主イエスの制止にもかかわらず、この出来事を言い広めました。その結果、主イエスは町の中での宣教を妨げられることになりました。

けれども、この人の気持ちもよくわかります。福音はあふれ出るのです。牧師の娘であるドイツのメルケル首相は、「私たちは(身体的な近さによるのではない)好意と友情を示す別の方法を見つけなければなりません。スカイプや電話、メール、手紙など」と語っています。

顔と顔を合わせて励まし合うことができない現実は私たちを意気阻喪させようとします。けれども今日も神さまの愛は私たちから流れ出します。

今までとは「別の方法」を見つけ出して礼拝を献げ、主イエスの新しいいのちを生きることができます。「自分たちの集まりをやめたりせず、むしろ励まし合いましょう」(へブル 10:25)。