2020年5月31日 ペンテコステ主日礼拝の説教要旨

2020年5月31日
ペンテコステ主日礼拝
説教「私たちに出会ってくださるお方」
マルコ3章7-12節

【立ち去る主イエス、追う人びと】

先週は、イエスを殺そうというパリサイ人たちの相談が安息日に始まったことを見ました。するとイエスは「退かれ」(7)ました。もちろん十字架へ向う道を選んでおられたのですが、その前になお、語るべきことば、なすべきみわざがあったからです。「すると、ガリラヤから出て来た非常に大勢の人々がついて来た」(7)のです。それだけではありません。ユダヤ内外から「非常に大勢の人々が・・・「みもとにやって来た」(8)のでした。

地図のようにほんとうに広い範囲から多くの人びとがやって来ました。彼らは、「イエスが多くの人を癒やされたので、病気に悩む人たちがみな、イエスにさわろうとして、みもとに押し寄せて来た」(10)のでした。それは主イエスが押しつぶされないように「ご自分のために小舟を用意しておくよう、弟子たちに言われた」(9)ほどでした。押し寄せた人びとの側では病気の癒しを求めていたのですが、主イエスにはもっと深い望みがありました。彼らの心もたましいも癒すことでした。

【小舟に乗って、みことばを】

ですから、主イエスは人びとにご自分を触らせないで、小舟に乗りました。そしてみことばを語られました。病気の癒しは永続する結果をもたらすわけではありません。人はいつかは死ぬからです。けれども、みことばは永遠のいのちを与えます。終わることのない神さまとの関係に導きいれるのです。

だからといって、みことばに魔術のような力があるとは思わないでください。たとえば聖句の暗唱もたくさん覚えれば、それでなにかよいことがあるというのではありません。みことばを暗唱する目的は、神さまのお語りになる口調になじみ、神さまの体温に温められながら、神さまの鼓動を聴き取ることができるようになることなのです。

主イエスのみことばには力があります。私たちを罪と死の力から解き放つ力です。前にもご紹介したケセン語訳聖書でヨハネの福音書1章1-2節と10節を読んでみましょう。まずは新改訳2017です。

1:1 初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。

1:2 この方は、初めに神とともにおられた。

1:10 この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。

ここで、主イエスは「ことば」だとあります。人格をもって私たちの存在そのものに語りかける、それが主イエスということばであり、主イエスの語るみことばなのです。

次にケセン語訳

1:1 初めに在ったのァ/神様の思いだった。思いが神様の胸に在った。/その思いごそァ神様そのもの。

1:2 初めの初めに神様の/胸の内に在ったもの。

1:10神様の/思いが凝(こご)って人どなり/この人の世に在りやった。人の世ァ神様の/思いによってなったのに、/この世ァそれェ認識(わが)んながった。

たいへん大胆な訳です。「ことば」をすべて「神様のの思い」と訳しています。これは本質をつかんだ訳だと思います。特に「神様の/思いが凝(こご)って人どなり」(10) は名訳だと思います。なぜ、みことばには、力があるのか。イエスのみことばに力があるのは、それが私たちを愛する神さまの思いが凝縮したものだから。私たちを愛するあまり、主イエスは人となりました。神が人となったのです。十字架に架けられるために。そして復活して新しいいのちを与えるために。

【コロナの中で、みことばを】

主イエスは今も私たちにみことばを語っておられます。聖書をとうして。なにより、礼拝をとうして。コロナの中で、みことばを聴き続けましょう。全国の緊急事態宣言がひとまず解除されました。一刻も早くみんなで集まる礼拝をとはやる気持ちもある一方で、着地こそ慎重にとも思います。いま役員会でいろいろと思いをめぐらしています。しばらくお待ちください。

 知り合いのカウンセラーの方が「三つのPではなく」ということを教えてくださいました。3つのPとは、怒りなど、ネガティブな感情やストレスを増幅させてしまう考え方のことだそうです。(1)Personalization(自責化。なんでも自分のせいにする)(2)Perversiveness(普遍化。ある出来事がすべての出来事に影響すると考える)(3)Permanence(永続化。この状態がずっと続くと考える)
 「三つのPではなく」は、この逆です。つまり、自分ひとりのせいではない、すべてではない、ずっとではない、と思うこと。こうしてネガティブな気持ちに対処でき、ストレスに打ち勝つことができるというのです。

「そうは言われても」というのが私たちの反応だと思います。ネガティブになるな、と言われてもついそうなってしまう私たちです。けれども、いまも私たちに語られている主イエスのみことばに耳をかたむけてください。「神様の/思いが凝(こご)って人どな」ったお方のみことばに。十字架の血と復活のいのちに裏打ちされた真実のみことばに。

今日ペンテコステ。み父の思いがこごって、人となったみ子のみことばを、聖霊が私たちに聴き取らせてくださったことを信じて、今週の歩みが始まります。