2020年6月21日の説教要旨

2020年6月21日
第三主日父の日礼拝 説教
「兄弟と呼んでくださるお方」
マルコ3章31-35節

【すべての人への招き】

先週は三種類の人びとを見ました。弟子たち、律法学者たち、そして、イエスの身内の者たちです。そのところで、主イエスは「しかし聖霊を冒瀆する者は、だれも永遠に赦されず、永遠の罪に定められます」(29)と、律法学者たちに言いました。主イエスが神からの救い主であり、その働きは聖霊によることを受け入れるようにと、招かれたのでした。今日は、イエスが身内の人びとを招かれたお言葉を聴きましょう。今日は父の日ですが、「イエスの母と兄弟たちがやって来て」(31)と、父のことが記されていません。けれどももちろん、父も含め、すべての人が招かれているのです。

イエスの身内は「外に立ち、人を送ってイエスを呼んだ」(31)とあります。「イエスはおかしくなった」(21)という人びとのことばを信じてやって来た身内は、取り巻いている人びとからイエスを引き離そうとしました。連れて帰ろうとしたのです。先週もお話ししましたが、身内の人びとは、ある意味で律法学者たちと同じです。主イエスが神からの救い主で、その働きが聖霊によることを認めていないからです。イエスはこの呼び出しに応じません。その場にとどまって、反対に身内の者たちに「あなたがたも中に入りなさい」と招いておられるのです。

【母マリア】

ここでのマリアの姿は、私たちをとまどわせます。かつて、「どうぞ、あなたのおことばどおり、この身になりますように」(ルカ1:38)と語った信仰者の姿との差がとても大きいからです。けれども聖書がこのことを率直に記していることは、私たちにとって大きな慰めです。私たちもマリアの同じように「どうぞ、あなたのおことばどおり、この身になりますように」と祈りながらも、ときとして主イエスを自分の思いどおりに動かそうとする者だからです。

そんなマリアに主イエスは厳しい言葉を発しました。「わたしの母、わたしの兄弟とはだれでしょうか」(33)。これは、まるでこの人びとは自分の母ではない、兄弟でもない、と聞こえることばです。「この人びとはわたしには関係ない」と言うのです。私たちの胸にもこの言葉はこたえます。まるで、私たちも主イエスから「あなたはわたしには関係ない」と言われているように感じられて。しかしいつもの通り、主イエスのお言葉はすべて愛から出ています。この箇所でも、すぐに招きのことばが続くのです。「ご覧なさい。わたしの母、わたしの兄弟です。だれでも神のみこころを行う人、その人がわたしの兄弟、姉妹、母なのです」(34-35)と。「さあ、外に立っている人びとよ。わたしの思いを行うことができないでいる人びとよ。そこに立っていないで、入ってきなさい。そして、わたしの胸の中で、わたしのこころを行いなさい。あなたはわたしの、兄弟、姉妹、母、すなわち家族なのだから」とおっしゃるのです。私たちは主イエスの家族、このことを忘れることがないようにと思います。なにかをしたから主イエスの家族になるのではありません。主イエスが招いてくださった、そのことだけによって、すでに主イエスの家族とされているのです。

【神のみこころ】

この「神のみこころを行う」とは、なにをすることなのか。「行う」という言葉が使われているので、よい行いをしたり、熱烈に祈りをささげたり、といったことを私たちは考えがちです。そして、「自分は足りないから、だめだ。神のみこころを行っていない。神の家族とはいえない」と思ってしまいます。

けれども、このとき家の中で、主イエスのまわりにいた人びとはなにをしていたのでしょうか。実は彼らは何もしていません。彼らはただ、主イエスが語られるのを聴いていただけなのです。ですから「神のみこころ」を行うとは、神の言葉に耳を聴くことです。これもいつも申し上げることですが、神さまは私たちを召使いとして扱われません。こまごまとこれをしなさい、これをしてはダメと指示することを好まれないのです。そうではなくて、私たちが神の言葉を聴き、私たちが神の思いを知り、私たちが神の情熱を共有することを望まれます。つまり私たちが奴隷ではなく神の家族として自由に愛に生きることを望まれるのです。

コロナの時代になって、今まで以上によく語られるようになった聖句があります。ローマ8章28節です。新改訳2017聖書では脚注に「異本」とある訳がよいでしょう。「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています」。私たちは神の家族です。主イエスの家族とされています。だから、主イエスと同じ思いで、この世界の痛みを感じ、破れをつくろうために生きるのです。主イエスを神からの救い主だと信じた私たちは、すでにそのように生きているのです。