2020年6月28日の説教要旨

2020年6月28日
第四主日世界宣教デー礼拝
説教「実を結ばせるお方」
マルコ4章1-20節

【たとえであって、例話ではなく】

マルコ4章にはいくつかのたとえが記されています。主イエスがさまざまな機会にお語りになったたとえをここにマルコがまとめたものと言われています。いま「たとえ」と言いました。私たちは「たとえ話」とか「例話」だと思いやすいのですが、主イエスのたとえは「例話」とはちがいます。そこで明野の説教では「たとえ」で統一したいと思います。

例話の目的はわかりやすくすること。難しいことがらを身近な具体的なことがらを用いて理解しやすく説明することです。けれども、主イエスのたとえはちがいます。主イエスはこうおっしゃっています。「外の人たちには、すべてがたとえで語られるのです。それはこうあるからです。『彼らは、見るには見るが知ることはなく、聞くには聞くが悟ることはない。彼らが立ち返って赦されることのないように。』」(11-12)。ですから、たとえの目的はわかりやすくすることではありません。そうではなくて、主イエスがこの世に来てもたらされた神の国(神の支配)の現実をつきつけ、その人が神の国に生きるようになるというできごとを起こさせることです。

「外の人たち」とは、先週見たように主イエスのおられる家の中に入らないで外に立っていた人びとのように、主イエスが神からその救い主であることを認めず、主イエスのわざを聖霊によるものであると受け入れない人びとです。主イエスはそのような人びとを招いておられます。たとえは彼らへの招きです。神の国の現実をつきつけられることは、わかりやすいことではありません。それは、今までにしたことがない体験をすることです。この世界は神さまが回復させようとしておられる世界、人びとは神さまがケアするために私たちを遣わしておられる人びと、私たちは神さまと共に働く神の家族であることに目が開かれ、そして、十字架にご自分を投げ出す愛なる神さまを愛する体験です。「そこに入れ。わかりやすくなくても、わたしが入れてあげよう。」そう主イエスは招いてくださっているのです。

【種を蒔く人のたとえ】

このたとえの主人公は種(「みことば」14節)を蒔く人。そしてそれは主イエスです。このたとえはしばしば、「あなたの心は、道端ですか、岩地ですか、茨ですか。実を結ぶ良い地になりなさい。」と語られることがあります。けれども、私たちは自分でサタンがみことばを取り去るのをふせぐことはできません(道端)。困難や迫害でつまずかないようにすることも(岩地)。また、この世の思い煩いや富の惑わし、そのほかのいろいろな欲望を入り込ませないことも(茨)。それにもかかわらず、私たちがみことばを聴いて受け入れ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶとするなら、それは主イエスがしてくださる以外にありません。

当時の収穫はせいぜい十倍ほどだったようです。そんな時代に三十倍というのはびっくりするようなあり得ない大豊作です。百倍にいたっては、まったくあり得ない数字です。けれども、主イエスはそんな豊作をもたらすことができるお方。このたとえは主イエスが、私たちにそんな豊かな神の国のいのちをあたえてくださることの約束です。私たちは道端であり、岩地であり、茨です。どれかひとつというよりも、それらすべてを備えた、とても実を結ぶことができないような土地です。けれども、主イエスは、そんな私たちに心血を注いで良い地に変えてくださいます。いえすでに、まさに文字どおり心を痛め、十字架で血を注ぎ、聖霊を遣わして、みことばを聴かせて、良い地としてくださったし、さらに良い地に変え続けてくださっているのです。主イエスはそんなふうにみことばを蒔きながら、同時に私たちの土壌を改良してくださるのです。

【良い地としてくださる主イエス】

ですから、このたとえで聴くべきことは、主イエスは私たちに豊かな収穫を結ばせてくださるという約束。それも、私たちが今まで考えたこともないような収穫を結ばせてくださることです。私たちは健康が守られ、生活の必要が満たされ、滅びることがないように、と願います。もちろん、主イエスはそれらもご存じなのですが、それよりもはるかにまさる祝福を差し出しておられます。それは、主イエスの家族として、主イエスとともにこの世界の回復のために働くこと。主イエスと私たちを通して、この世界に実際に、一致と和解が回復されていくことです。私たちのまわりの世界は悲鳴をあげています。差別や偏見が分断や孤独をもたらし、私たちの身近なところにも多くの痛みがあります。けれども、主イエスは私たちを良い地に変えてくださいました。さらに変え続けてくださっています。神さまのみことば、そこにこめられた神さまの思いが、愛が豊かに実を結んでいます。そして、この世界へとあふれ出していくのです。

「みことばをもっともっとしっかり聞いて良い地にならなければならない」と思わないでください。すでに良い地にされているおたがいを祝いましょう。そして主イエスが実らせてくださっている愛の実りを惜しむことなく注ぎあいましょう。