2020年7月5日の説教要旨

2020年7月5日 第一主日聖餐礼拝
説教「秘密を明かすお方」
マルコ4章1-20節
ヨハネの福音書12章24節

【神の国の奥義】

今週も先週に続いて、マルコ4章の種を蒔く人のたとえを聴くことにします。それだけここはたいせつな箇所だと思うからです。先週は主イエスが語られたのは「たとえ」であって、「例話」や「たとえ話」ではないこと。「たとえ」はわかりやすく説明するためではなく、主イエスが来られたことによって始まった「神の国」(神の支配)の現実をつきつけ、そこへと招くためであることを語りました。主イエスはそのことを「あなたがたには神の国の奥義が与えられています」(11)とおっしゃいました。

「あなたがた」とは、「イエスの周りにいた人たちが、十二人とともに」(10)とあります。主イエスがたとえを語ったときに「非常に多くの群衆」(1)がいました。その多くは、「どうもよくわからない」と思いながら帰ったでしょう。なかには、自分なりに頭で理解できたと思って帰った人もいたでしょう。でも、その人たちは帰ってしまいました。主イエスの招きに応じなかったのです。けれども、イエスの周りに残った人たちがいました。その人たちに主イエスは「あなたがたには神の国の奥義が与えられています」(11)と言ったのでした。神の国の奥義とは何か。それはマルコ1章15節です。「時が満ち、神の国が近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」主イエスが来られて神の国が始まったのです。現実に、そんなできごとが起こりました。生まれる前の赤ちゃんにどんなに世界について説明してもわからないでしょう。世界は頭で理解するものではなく、全存在で味わうべきものだからです。神の国もそうなのです。主イエスはそんな神の国に私たちを招きます。「ここにおいで。神の国を味わいなさい。そしてそこで生きなさい。」と。

【神の国の私たち】

神の国に飛び込まない人たちについて主イエスは「彼らは、見るには見るが知ることはなく、聞くには聞くが悟ることはない。彼らが立ち返って赦されることのないように。」とおっしゃいました。理解できないから、と言って足を踏みださない者には奥義は奥義のままです。そんな彼らを主イエスは惜しんで、なんとか振り向かせようと、このようにおっしゃったのでした。

なぜ私たちが奥義を知ることができたのか、それは不思議です。私たちにはなぜかはわからないのですが、ほんとうにすばらしいことが起こったのです。そして、これもなぜかはわからないのですが、私たちは主イエスを信じることができました。信じるとは、主イエスの愛を感じ、その愛に身をゆだね、主イエスとともに生きることです。そんな私たちを主イエスはいつくしんで「あなたがたには神の国の奥義が与えられています」(11)とおしゃいます。「おめでとう、あなたがた。あなたがたは、わたしの声を聴き分けた。わたしの招きを聴き取った。道端であり、岩であり、茨であるあのたがたが、わたしの招きを聴き分けたことを不思議に思うにはおよばない。わたしがそうしてあげたからだ。わたしがあなたを愛して、そうしてあげたのだ。だから、わたしのもとにとどまりなさい。ずっととどまりなさい。あなたがたをわたしがますます良い地にしてあげよう。」と、おっしゃるのです。

【一粒の麦、主イエス】

これまでこのたとえは主イエスのみことばだと語ってきました。主イエスは種を蒔く人だとも。けれども、主イエスはただみことばを蒔いただけではありません。そこのご自分のいのちを添えられたのでした。ヨハネの福音書に「まことに、まことに、あなたがたに言います。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます。」(12:24)とあります。主イエスは十字架にご自分を与え、そのことによって私たちにゆたかな復活のいのちの実を結ばせてくださいましたし、さらに結ばせてくださるのです。

主イエスの豊かないのちに与ることは一瞬の回心にかかっているのではありません。もちろん、信仰に始まりはあるのですが、クリスチャンホームの指定などの場合、いつ始まったかわからないこともしばしばです。それよりもたいせつなことは、主イエスの胸に抱かれて、そこにとどまり続けることです。ほんとうに毎回毎回同じことしか申し上げないのですが、福音にいろいろあるわけではないので、おゆるしください。主イエスの胸の中で、主イエスのみことばを聴き続け、主イエスの体温を感じ、その鼓動に私たちの鼓動も同期することを願ってください。ひとりではなく、仲間とともに。そうするならば、私たちはみ言葉の湯治と仲間とのリハビリによって、主イエスのように愛する者へと癒されていきます。変えられていきます。コロナの中にあっても。いえ、コロナの中だからこそ、響いてくるみことばがあり、このときだからこそできるリハビリがあるのです。