2020年7月19日の説教要旨

2020年7月19日
第三主日礼拝
説教「成長させてくださるお方」
マルコ4章26-34節

【ここでも神の国が】

今日は「成長する種」のたとえと「からし種」のたとえ。ここでも語られているのは神の国、すなわち、主イエスが来られて始まり、今も広がりつつあり、主イエスがもう一度来られるときに完成する神の支配です。繰り返しになりますが、主イエスのたとえは倫理道徳の教えでもなく、信仰的人生訓でもありません。主イエスがもたらした神の支配というできごとなのです。

ですから、神の国はいわゆる「天国」とはちがいます。死んだ後に行く「天国」のことだと思って、「神の国」について読むと、まったくとんちんかんなことになってしまいます。神の国はもう私たちのところに来ています。しつこいようですが、「時が満ち、神の国が近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」(1:15)こそが福音です。もう神さまの支配が世界の中に始まっているのです。

【成長する神の国】

「成長する種」のたとえの「種」は神の国です。「夜昼、(蒔いた人が)寝たり起きたりしているうちに種は芽を出して育ちますが、どのようにしてそうなるのか、その人は知りません。地はひとりでに実をならせ、初めに苗、次に穂、次に多くの実が穂にできます。」(27-28)、つまり種が育つのは、種そのものが持っている力によるのです。神の国も同じです。神の国、神の支配にはそれ自体に力が備わっています。それは不思議な力。人間の理解を超えた、人間の力を超えた力です。人びとは主イエスを十字架に架けました。けれども、神の国の成長を止めることはできませんでした。種(神の国)は、たとえ土の中に埋まっているように見えても、なくなりません。芽を出しているのです。やがて苗が地表に姿を現し、実を結びます。すると「実が熟すと、すぐに鎌を入れます。収穫の時が来たからです。」(29)、収穫の時が来ます。その時はもう近づいているのです。

コロナが再び勢いを盛り返しているように見えます。再自粛のときが近づいているのかもしれません。そんなことがあったら、私たちはがっかりします。けれども、神の国は、そんな中でも成長しています。私たちががっかりしている時も!私の説教集の第二巻がもうすぐ出ます。「天からのはしご」という題です。解説や推薦文を親しい牧師たちが書いてくれましたが、みな召された娘のことに触れていました。この説教集は娘を天にお返しした牧師が、それでも神さまの胸の中に抱きしめられていることに意味があると。私はほんとうは、娘のことを話したくない。悲しくなるから。けれども、そんな悲しみの中でも、神さまは説教させてくださる。福音が語られている。やはり神の国は成長しているのです。悲しみの中でも。悲しみを通して。そしてやがて世界は収穫のときをむかえる。そのとき私たちは美和と会うことになります。そのときこそ、もう二度と離れることはないのです。たがいの悲しみが癒されるときです。

【なによりも大きくなる神の国】

「からし種」のたとえでも「からし種」は神の国です。週報の写真は以前、私が父に送った「からし種」です。父が召されて手もとにもどってきました。こんなに小さなからし種が大きな木になります。世界を覆う木になるのです。今は、ただ信じる私たちの中にしかないように見えても、神の国はやがて世界を覆います。世界に回復をもたらし、鳥が巣をつくるように世界が神の支配のもとで安息し、神さまを喜ぶときが来るのです。

【聞く力に応じて】

「イエスは、このような多くのたとえをもって、彼らの聞く力に応じてみことばを話された。たとえを使わずに話されることはなかった。ただ、ご自分の弟子たちには、彼らだけがいるときに、すべてのことを解き明かされた。」(33-34)とあります。私は最初にここを読んだとき不思議に思いました。弟子たちには「聞く力」がないからすべてを話され、他の人には「聞く力」があるからたとえで話されたのかなあ?変だなあ?と思ったのです。

けれどもこの「聞く力」は先週の「自分が量るその秤」(24)と同じことです。「自分の願いをかなえてもらいたい」という小さな秤で聞く者にはたとえが語られます。わかりにくくするためではなく、神の国へ飛び込む決断をうながすためです。しかし神の国を受け入れた弟子たちにはすべてのことが語られました。ただのたとえの解説ではなく、神の国がもたらす実りがどれほど豊かなものであるかが語られたことでしょう。私たちが神の子とされ、神ささまの胸で神さまの体温と鼓動に同期されていくこと。私たちがたがいに赦し合い、覆い合い、支え合う共同体とされていくこと。そんな私たちを通して、世界が回復されていくこと。それらのことを主イエスは語り、弟子たちにそれを「聞く力」を与えてくださいました。弟子たちはやがて、十字架の主イエスを捨てて逃げることになります。けれども、主イエスのみことばは彼らに豊かな実を結ばせました。それは主があきらめないお方だからです。今も。