2020年9月27日の説教要旨

2020年9月27日
第四主日礼拝
説教「来てくださるお方」
マルコの福音書6章45-56節

【弟子たちの舟、私たちの舟】

お祈りに感謝です。先週から痛み止めが必要なくなり順調に回復しているようです。続いてお祈りください。さて、今日は舟に乗った弟子たちへの主イエスの語りかけを聴きたいと思います。

伝統的にキリスト教会は、舟を教会のシンボルとして用いてきました。教会は世界を行く舟、私たちはそれに乗った旅の仲間なのです。「それからすぐに、イエスは弟子たちを無理やり舟に乗り込ませ」(45)とあります。私たちは自分から進んで明野キリスト教会に加わった者たちです。けれども最初にさまざまな教会を研究しつくして明野を選んだわけではありません。主イエスの導きにより明野に導かれ、そして、とどまっている。そこでの仲間や仲間のひとりである牧師も自分で選んだわけではありません。主イエスによって結び合わされた仲間。主イエスが私たちの背をそっと押して乗り込ませ、結び合わせてくださった仲間です。だから問題があるからといって取り換えるのではなく、ともに問題を解決することを主イエスに命じられている、その意味では「無理やり舟に乗り込ませ」られた仲間、それが教会なのです。「イエスは、弟子たちが向かい風のために漕ぎあぐねているのを見て」(48)もまた、内外の問題にあえぐ教会の姿を現していると言えます。しばしば行き詰まってしまう点においても。

【祈る主イエス】

このとき舟に主イエスは乗っておられません。教会でも嵐の中で主イエスが直ちに問題を解決してくださらないことはたびたびです。そんなとき主イエスは何をしておられるのでしょうか。「そして彼ら(群衆)に別れを告げると、祈るために山に向かわれた。」(46)とあります。主イエスが父に祈っておられる。聖霊によって。私たちのために。だから私たちからは主イエスが見えなくても、私たちは主イエスの、そして三位一体の神の視界にあるのです。三位一体の神の関心事は私たち。苦難の中で教会が主になおなお堅く結びつき、仲間と愛し合う愛を増し加えられ、この世界の破れをつくろう主の働きに加わることが神の関心事であり、主イエスの祈りはそのためでした。教会は罪のために損なわれた世界を回復するために神が選ばれた方法だからです。

だから私たちは祈る主イエスの視界から失われていません。主イエスはしっかりと私たちを視界にとらえていて、「向かい風のために漕ぎあぐねているのを見て、夜明けが近づいたころ、湖の上を歩いて彼らのところへ行かれた。」(48)のです。主イエスが私たちの苦境を見逃すことはないのです。

【わたしだ。恐れることはない】

「そばを通り過ぎるおつもりであった。」(48)はなぞです。弟子たちを助けに来たのに通り過ぎるのは不思議です。けれども、教会、すなわち私たちの現実においてはよくあることかもしれません。主イエスがおられることを私たちは知っています。けれどもまるで、主イエスが私たちを気に留めておられないかのように感じることがあります。それどころか、弟子たちにいたっては、「しかし、イエスが湖の上を歩いておられるのを見た弟子たちは、幽霊だと思い、叫び声をあげた。みなイエスを見ておびえてしまったのである。」(49-50)とあります。

けれども、そのときです。「イエスはすぐに彼らに話しかけ、『しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない』と言われ」(50)、「そして、彼らのいる舟に乗り込まれると、風はやんだ。」(51)。まったくの不信仰なわけのわからない弟子たちに主イエスは近づいてくださり、舟に乗り込んでくださったのでした。弟子たちが立派であったからではなく。10月31日は宗教改革記念日。1517年にルターが再発見したのは、ただあわれみゆえに私たちを愛し救う神。私たちがあわれな罪びとであればあるほど捨てておけない神でした。

「わたしだ」は燃えるしばの場面でモーセに示された神の名です。「わたしは『わたしはある』という者である。」(出エジプト3:14)。これは「わたしはなろうと思う者になる者」と訳せることば。主イエスはあえぐ教会に自ら来ようと思って来てくださるお方。十字架に架かろうと思って架かってくださるお方。私たちと共にいてくださりたいと思って復活してくださったお方。

「弟子たちは心の中で非常に驚いた。彼らはパンのことを理解せず、その心が頑なになっていたからである。」(51-52)と、どこまでも弟子たちは鈍いのですが、そんな鈍さもまた祝福に変えられていきます。そんな弟子たちにこそ、主イエスはますます寄り添い、ますますあわれみを注いでくださるからです。私たちにも同じです。そんなおたがいをこの朝も喜びましょう。私たちの背をそっと押して、教会という舟に乗り込ませてくださった主イエスのゆえに。十字架の傷のあるその手の感触を忘れることなく。