2020年10月18日の説教要旨

2020年10月18日
第三主日礼拝
説教「願わせてくださるお方」
マルコの福音書7章24-30節

【ユダヤ人と犬】

肩のリハビリは終了。ひざもあと数回かと思います。本人の私はのんきにしていたのですが、肩は鎖骨の粉砕骨折、ひざは関節内骨折というなかなかたいへんなことだったそうで、一カ月半でここまでというのはかなり驚くべきことなのだそうで、お祈りに感謝いたします。

さて今日の箇所で主イエスはツロ(24)そしてシドン(31)という町へ行かれました。これは主のご生涯のなかでももっとも北への旅。そこはもうユダヤ人の国ではなくて異邦人の国。聖書の神さまが信じられていない国でした。ここに登場するのは「ギリシア人で、シリア・フェニキア(この地方のこと)の生まれ」で、(26)「彼女の幼い娘は、汚れた霊につかれていた」(25)女性です。彼女は汚れた霊を追い出しておられる「イエスのことを聞き、やって来てその足もとにひれ伏し」(25)ました。「自分の娘から悪霊を追い出してくださるようイエスに願った」(26)のでした。けれどもこれはたいへん大胆なことでした。ユダヤ人は異邦人を汚れた者として付き合おうとせず、ときには異邦人を「犬」呼ばわりしていたからです。もちろんこれもまた神さまのおこころからのはなはだしい逸脱でした。神さまはすべての国民を祝福するための通路としてユダヤ人を選んだはずなのに、彼らはそれを忘れていたからです。

【主イエスと子犬】

そんな女性に主イエスは意外な厳しい言葉を返されます。「まず子どもたちを満腹にさせなければなりません。子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのは良くないことです。」(27)と。まるではねつけているようにも聞こえます。けれども、この「子犬」は「犬」とはちがう単語です。ユダヤ人たちが異邦人をさげすんで用いる「犬」とはちがって、この「子犬」は家のペットとしてかわいがられ、家族の一員として扱われる存在です。ですから一見、冷たいように見える主イエスの対応は実は招きです。「あなたは異邦人だ。けれどもあなたが望むならわたしの食卓に連なればよい。癒しと回復の食卓に、さあおいで。」と、主イエスは女性を招かれたのでした。

女性はこの招きを見逃しませんでした。「主よ。食卓の下の小犬でも、子どもたちのパン屑はいただきます。」(28)と、主イエスが用いた「子犬」という語を「てこ」に願い続けます。主イエスは目を細めるようにして、喜ばれたことでしょう。すぐに「そこまで言うのなら、家に帰りなさい。悪霊はあなたの娘から出て行きました。」(29)と、悪霊から娘を解放してくださったのでした。こうして北方の辺境の地でも世界の回復が始まりました。

【あなたの語った言葉によって、行け】

「そこまで言うのなら」(29)は、どうも訳しすぎのように思えます。、もっと素直に訳すと「あなたの語った言葉によって、行け。」となります。女性が語ったことば、すなわち「主よ。食卓の下の小犬でも、子どもたちのパン屑はいただきます。」(28)という言葉を、主イエスがよしとされ、「この言葉どおりに、この言葉を忘れないで歩け、生きよ。」、と言われたのでした。女性のこの言葉は、主イエスへを信頼する者の言葉です。それは親しみのこもった信頼であり、罪びとのためにはらわたがねじれるほどの主イエスの愛を知った人の言葉です。私がいつも申し上げる表現を使えば、神さまの胸の中で神さまの体温を感じ、神さまの鼓動を感じる人の言葉です。北辺の異邦人である彼女にそんな言葉を与えたのは主イエスでした。私たちにもそうしてくださいました。

私たちも主イエスに拒まれているように感じることがあります。祈っても手ごたえなく、固い壁にはね返されているように思うことがあります。そんなときに「あなたの語った言葉によって、行け」(29私訳)という主イエスの言葉を思い出してください。あなたはあなたがすでに告白した主イエスへの信頼の言葉によって生きればよいのです。主イエスのあわれみ、主イエスが十字架の上でもあなたのため赦しをこいつつ、ご自分を与えてくださった愛への信頼の言葉によって。