2020年12月13日の説教要旨

2020年12月13日
待降節第三主日礼拝
説教「栄光に輝くお方」
マルコの福音書9章1-8節

【はずれた預言?】

待降節も第三の主日を迎えました。人となられた主イエスの十字架への道のりを今日もともにたどりましょう。さて、「まことに、あなたがたに言います。ここに立っている人たちの中には、神の国が力をもって到来しているのを見るまで、決して死を味わわない人たちがいます。」(1) は多くの人を悩ませてきた箇所です。中にはこれを再臨のことだと考え、「ここに立っている人たち」の存命中には実現しなかったのだから、主イエスは誤りを言ったのだ、と考える人びともいます。もちろんそんなことがあるはずはありません。主イエスのことばに誤りなどないのですから。

【栄光に輝くお方】

そして実際に、それからすぐ、弟子たちのうちペテロとヤコブとヨハネは、神の国の到来を、主イエスの栄光のお姿に見ることになります。「彼らの目の前でその御姿が変わった。その衣は非常に白く輝き、この世の職人には、とてもなし得ないほどの白さであった。」(2-3)とあります。この後も彼らは神の国の到来を見続けることになります。十字架に、復活に、高挙に。高挙とは主イエスが天に上げられたこと。「こう言ってから、イエスは使徒たちが見ている間に上げられた。そして雲がイエスを包み、彼らの目には見えなくなった。」(使徒1:9)とあります。神の国の到来はこうして力強く進んで行き、再臨のときに完成するのです。たいせつなことは、私たちはもうそんな力ある神さまのみわざの中で生きているということです。

【歴史の焦点】

山の上で「エリヤがモーセとともに彼らの前に現れ、イエスと語り合っていた。」(4) ことは、主イエスが来られたことが歴史の焦点であることを知らせます。「律法と預言書」という言葉がありますが、これは旧約聖書の全体を表します。モーセが律法、エリヤが預言書の代表ですから、旧約聖書にこめられた神さまの思いが、主イエスにおいた実現しました。私たちをあわれみ、私たちを赦し、私たちをご自分の子として抱きしめたいという思いです。主イエスは歴史の決定的な焦点です。主イエスより後、歴史は決定的に異なる段階に入りました。もちろん現在、私たちにも世界にも困難は絶えません。けれども、主イエスの支配は力強く始まっていて、私たちを癒し、癒された私たちを通して世界を癒すのです。癒しつつあるのです。

モーセとエリヤは去りました。でも、「彼らが急いであたりを見回すと、自分たちと一緒にいるのはイエスだけで、もはやだれも見えなかった。」(8) とあります。主イエスは去らないのです。今も私たちとともにいてくださいます。

【それから六日目に】

ペテロたちが見た栄光に輝く主イエスのお姿を私たちも見ることができます。毎日の祈りの中で。聖書を読む中で。あるときは祈りに力なく感じられ、聖書も心に響かないこともよくあります。しかし、ひとりひとりはそうであっても、主イエスはキリストのからだである教会にはいつもご自身の栄光のお姿を現してくださいます。とりわけ礼拝の中で。

七日目ごとの主の日に私たちは集います。ある者は第一礼拝、またある者は第二礼拝、YouTubeライブ礼拝やCD礼拝、要約版を読む方もおられるでしょう。そのどこにおいても、主イエスの栄光に輝くお姿を拝しましょう。拝することができます。