2021年1月17日の説教要旨

2021年1月17日 第三主日礼拝
説教「命を与えるお方」
マルコの福音書9章42-50節
 
阪神大震災から26年。さまざまな困難が続いている中でこそ主のお言葉を聴きましょう。
【つまずかせてはならない】
「また、わたしを信じるこの小さい者たちの一人をつまずかせる者は、むしろ、大きな石臼を首に結び付けられて、海に投げ込まれてしまうほうがよいのです。」(42) は、仲間に信仰を失わせ、その人が神さまに胸の中で生きることを妨げることへの警告です。先に弟子たちは「だれが一番偉いか」(35) と論じ合いました。自分を大きな者とし、他の人を小さな者にしようとしたのです。もとより主イエスに従う者たちに、大きな者も小さな者もいません。たがいに補い合って、主に仕えるキリストのからだがあるだけです。ところが弟子たちはキリストのからだを分断し、小さい者とされた人びとから喜びを奪おうとしました。「海に投げ込まれてしまうほうがよい」という言葉に主イエスの深い痛みがうかがわれます。
【つまずいてはならない】
続く43-47節は「もし、あなたの手があなたをつまずかせるなら、それを切り捨てなさい…」と、自分がつまずくことへの警告です。「あなたがたは決して、わたしの胸のなかに生きることをやめてはならない。決して、決して。」と私たちを惜しむ主イエスのうめきのようなお言葉です。よく働く手が、よく動く足が、よく見る鋭い目。それらはみな神さまがくださったすばらしい賜物です。兄弟姉妹を助け、キリストのからだを建て上げ、神の国の前進に仕えるための。けれども、自分の働きや、動き、鋭さがキリストのからだを傷つけるならば、「捨ててしまえ」と主イエスはおっしゃるのです。兄弟姉妹が、そして自分が主イエスの胸のなかで生きることをさまたげるからです。主イエスの胸のなかで生きることにまさるものは何もないのです。このことを私たちの毎日の第一の願いとしましょう。さまたげにならないように警戒をおこたらないようにしましょう。
よく働く手が、よく動く足が、よく見る鋭い目が、兄弟姉妹と自分のつまずきにならない方法はただひとつ。それらをキリストのからだを建て上げるために用いることです。ほかの人が喜んで働いていることを喜びましょう。あなたのよく働く手は、裏方でその人の働きを支えることができます。人びとが失望しているときには、あなたのよく見る目が主イエスの恵みを見つけることができます。そして人びとに希望を指し示すことができるのです。
【塩気をつけられて】
「人はみな、火によって塩気をつけられます。」(49) はとうとつに思える言葉です。コロサイ書に「あなたがたのことばが、いつも親切で、塩味の効いたものであるようにしなさい。」(コロサイ4:6)とあります。「親切で」は「恵みの」という語です。聖書の恵みは、もちろん神さまの恵み。「あなたがたの言葉がいつも神さまの恵みという塩味が効いたものであるようにしなさい。」とパウロは勧めたのでした。私たちの言葉がいつも、兄弟姉妹に、そして自分自身に神さまの恵みを思い出させるものであるように。神さまの胸の中で生きることを助ける言葉でありますように。
【火によって】
けれども、私たちに「神さまの恵みの塩気をつける」火とはなんでしょうか。「ゲヘナでは、彼らを食らううじ虫が尽きることがなく、火も消えることがありません。」(48) とあります。ゲヘナ(地獄)というのですから、さばきに触れられているのですが。これが私たちのさばきのことでしたら、そこで塩気がつけられても手遅れです。
キリスト教会はこの難解な個所を、主イエスの十字架において理解してきました。恵みの言葉を語ることをしばしば忘れてしまう私たちです。そんな私たちをあわれんで、主イエスは十字架に架かり、よみにくだってくださいました。そして復活のいのちによみがえって、そのいのちを私たちに注いでくださっています。さばきの火を通られた主イエスが私たちを神さまの恵みに生きる者にしているのです。ますますそうしてくださいます。だから私たちは「あなたがたは自分自身のうちに塩気を保ち、互いに平和に過ごしなさい。」(50) のお言葉に生きることができるのです。