2021年3月14日の説教要旨

2021年3月14日
受難節第四主日礼拝 説教
「実を結ばせるお方」
マルコの福音書11章12-25節

【主イエスの呪いと怒り】

今日の箇所のできごとは、エルサレムの宗教的指導者たちの憤りを招き、主イエスの十字架を決定づけました。それだけに主イエスにとって譲ることのできない、たいせつなことが明らかになったできごとなのです。

ここでは実のないいちじくへの主イエスの呪いが描かれています。いちじくを呪って枯らしてしまうというのはいかにも主イエスにはそぐわないように思います。けれども問題はいちじくではありません。いちじくの木は、神の民ユダヤ人の当時のありさまを表しているのです。

【強盗の巣】

主イエスは神殿で激怒しました。「こうして彼らはエルサレムに着いた。イエスは宮に入り、その中で売り買いしている者たちを追い出し始め、両替人の台や、鳩を売る者たちの腰掛けを倒された。また、だれにも、宮を通って物を運ぶことをお許しにならなかった。」(15-16)。私たちはここで神社の境内で屋台がならんでいる光景を思い浮かべたり、教会でバザーを開くことはどうかと言ったことを論じたりします。けれども神殿で鳩を売ることは遠方からくる貧しい礼拝者たちにとって必要なことでしたし、ローマの貨幣を古いユダヤの貨幣に両替することは、これも礼拝者たちにとって必要なことでした。神殿では古いユダヤの貨幣以外は受け付けなかったからです。ですから問題は鳩の売り買いや両替ではありません。主イエスが怒ったのは、それが「異邦人の庭」と呼ばれる場所で行われていたからでした。

図を見てください。神殿に入るとそこは異邦人の庭です。異邦人、すなわちユダヤ人以外の人びとが神さまを礼拝し、祈ることを許されたただひとつの場所でした。ところがそこに売買の喧騒が満ち、物を運ぶ通路にしている人びともいて、異邦人たちの礼拝がさまたげられていたのです。ユダヤ人たちには「どうせ異邦人など」という思いがあったのでしょう。けれども、それはユダヤ人の使命をまったく忘れた思いでした。ユダヤ人が召されたのは、あのアブラハムへの招きのゆえです。「地のすべての部族は、あなたによって祝福される。」(創世記12:3)がそれです。だから主イエスは怒りました。「『わたしの家は、あらゆる民の祈りの家と呼ばれる』と書いてあるではないか。それなのに、おまえたちはそれを『強盗の巣』にしてしまった。」(17)と。『』の中はイザヤ書56:7とエレミヤ7:1です。世界のすべての人びとを招く神さまのお心を、神の民であるユダヤ人たちが無視し、さまたげていたのでした。主イエス、この世に来られた神は、その権威をもって宮清めを行いました。ユダヤ人たちの心が新たにされるべきことを、古い心が変えられえることを願ったのでした。それがいちじくの木が枯れたことに表されているのです。

【新しい神の民】

 ユダヤ人たちにも同情の余地はないではありません。数百年も他国に支配され、抑圧されてきました。家族が殺されたり、自分もひどい目にあわされたりした人も多くいました。そんな中で異邦人への反発が強くなったのは当然かもしれません。けれども主イエスは「それでもあなたがたは、彼らを神に招き続けよ。彼らの祈りをさまたげるな。」とおっしゃるのです。そんなことがどうしてできるのでしょうか。答はもちろん主イエスにあります。十字架で私たちの痛みを、赦せない思いを負ってくださった主イエス。その復活のいのちを注ぎ、私たちを愛する自由へと解き放ってくださった主イエスが、私たちを癒し、神の民として成長させてくださるのです。アブラハムへの招きを受け継ぐ世界の祝福の基として。主はそんな生き方の実を、私たちのうちにもうすでに結ばせてくださっています。