2021年3月21日の説教要旨

2021年3月21日
受難節第五主日礼拝
説教「祈りを与えるお方」
マルコの福音書11章12-25節

【あらゆる民に祈りを与えるために】

受難週の火曜日の朝のできごとです。前日、主イエスは神殿の異邦人の庭で商売をしている人びとを怒って追い出されました。異邦人たちの礼拝をさまたげるユダヤ人、世界の祝福の通路となるという使命を忘れたユダヤ人を嘆いたのでした。「わたしの家は、あらゆる民の祈りの家と呼ばれる」(17)と。世界のすべての人に祈りを与えるために主イエスは来てくださいました。私たちも祈る心を与えられています。子として、父に向って。そのための主イエスの十字架と復活でした。

【山が立ち上がる祈り】

宮清めの翌日の火曜日、金曜日の十字架まであと三日という朝に、主イエスは祈りについて教えました。「まことに、あなたがたに言います。この山に向かい、『立ち上がって、海に入れ』と言い、心の中で疑わずに、自分の言ったとおりになると信じる者には、そのとおりになります。ですから、あなたがたに言います。あなたがたが祈り求めるものは何でも、すでに得たと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。」(23-24)

これは誤解されやすいところかもしれません。疑わないで信じて祈ればその通りになる。これを自分の強い信仰によって神さまに言うことをきかせることができる、と受け取ってはならないでしょう。また、祈りがきかれないのは自分の信仰が足りないからだ、というのもちがいます。

16日の火曜日は関西聖書神学校の卒業式。説教は金井由嗣牧師でした。使徒16章「彼らは、アジアでみことばを語ることを聖霊によって禁じられた…ビティニアに進もうとしたが、イエスの御霊がそれを許されなかった…その夜、パウロは幻を見た。一人のマケドニア人が立って、『マケドニアに渡って来て、私たちを助けてください』と懇願するのであった。パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニアに渡ることにした。彼らに福音を宣べ伝えるために、神が私たちを召しておられるのだと確信したからである。」という箇所(16:6-10)からでした。パウロは神さまに道を閉ざされ続けた。しかしアジアでの働きを閉ざされ続けたことによって、マケドニアへの道が開かれた。ヨーロッパへの道が開かれた。パウロのように道が閉ざれたのが御霊のみちびきとわかる場合もある。けれども、それが導きなのか人の問題なのか、わからないことのほうが多い。それでも神さまはよき計画をお持ちだ。卒業してたとえうまくいかないことがあったとしても、そこにはすでに神さまのよき計画が始まっているのだ、そう語られた。私はうなった。自分の人生でうまくいかない時期は多くあった。牧師になってからも。でも振り返ってみれば、そのときもうすでに神さまのよき計画があったことがよくわかる。「あなたがたが祈り求めるものは何でも、すでに得たと信じなさい。」(24)はまさにその通りだと思います。

では山が動くとはどういうことなのか。これを大学受験に受かりますようにと祈ったら、合格不可能だと言われていた難関校に通ることだと思ってはなりません。主イエスは私たちが大学受験に成功するために十字架に架かってくださったのではないのです。主イエスは世界のすべての人に祈りを与えるために十字架に架かった。復活した。そして私たちにご自分と同じ願い、世界のすべての人に祈りを与えたいという願いを与え、神さまとの親しい交わりを与え、神の子としてくださった。もう私たちはそんな願いに生きる者とされている。山は動いているのです。そしてさらに私たちを通して世界は神を知っていく。山は動き続けるのです。

【深呼吸して、祈って、さがせ】

すでに始まっている神さまのよき計画に生きることについてお話ししました。先日発売された私の3冊目の説教集「栄光への脱出」(出エジプト記)。これを読んだ人が異口同音のように「深呼吸して、祈って、さがせ」のところが一番よかった、と言います。祈る前に神さまの息づかい、私たちを愛する息づかいを感じよう。そうするなら、「あれをして、これをして」と神さまに用事を言いつけるような祈りではなく、すでに始まっている神さまのよき計画があることを信頼することができる。そしたら短く祈って探したらいい。きっと神さまからの助けが見つかる。そう書きました。私たちは神さまを信頼したらよいのです。世界のすべての人に祈りを与える神さまの計画が進んでいるように見えなくてもあわててはなりません。神さまのよき計画はもうすでに始まっています。

【赦しなさい】

神さまのよき計画の始まりを見つけるのに一番よい場所はあなた自身かもしれません。「また、祈るために立ち上がるとき、だれかに対し恨んでいることがあるなら、赦しなさい。そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの過ちを赦してくださいます。」(25)と主イエスは言いました。そしてご自身の十字架と復活に」よって実現してくださいました。だからあなたは天の父によって、もうすでに赦されています。そしてだれかを恨んでいた、そんなあなたがすでに創り変えられ始めています。赦したいと願い、赦すことができるように癒され始めているのです。