2021年4月18日の説教要旨

2021年4月18日
第三主日礼拝
説教「いのちを与えるお方」
マルコの福音書12章18-27節

【サドカイ人たち】

受難週の火曜日。パリサイ人とヘロデ党を退けたと思ったら、今度はサドカイ人たちがやってきました。彼らは復活がないと言っていました。この点では、パリサイ人たちと正反対でした。パリサイ人たちは復活があると思っていたのです。そんなちがいが生まれたのは、サドカイ人はモーセ五書だけを聖書としていたのに対し、パリサイ人は詩篇や預言書も聖書だとしていたことにあります。復活が記してあるのは、モーセ五書以外の書だからです。例えば詩篇16:10-11などです。

復活を語る主イエスは、サドカイ人から見るとパリサイ人の仲間に見えました。実はサドカイ人は神殿の祭司を中心とする貴族階級。自分たちの高い地位や豊かな暮らしを大切にしていました。ですから、ローマを退けてイスラエルが独立することを願うパリサイ人は、サドカイ人にとって自分たちのこの世における幸福を脅かす者だったのです。

【七人の夫と一人の妻】

主イエスをやりこめようとして、サドカイ人たちは極端な例を持ち出します。七人の兄弟と結婚した一人の女性の例。「モーセは私たちのためにこう書いています。『もし、ある人の兄が死んで妻を後に残し、子を残さなかった場合、その弟が兄嫁を妻にして、兄のために子孫を起こさなければならない。』」(19)とあるのは申命記25章の結婚に関する教え。サドカイ人は復活のときにはこの妻はだれの妻になるのかと問い詰めたのでした。

確かに再婚した人が復活するとき、その夫婦関係はどうなるのだろうか、というのは私たちもふと考える素朴な疑問です。主イエスの答は明確でした。「あなたがたは、聖書も神の力も知らないので、そのために思い違いをしているのではありませんか」(24)。あなたがたが想像している光景はまったくまちがっている、と言ったのです。

【天にいる御使いたちのように】

では復活のときに夫婦はどうなるのでしょうか。「死人の中からよみがえるときには、人はめとることも嫁ぐこともなく、天の御使いたちのようです。」(25)の「天の御使いたち」は「天にいる御使いたち」さらに言えば「自分が神さまの胸に抱かれている恵みをはっきり知っている御使いたち」という意味です。神さまの胸に抱かれている!七度再婚した人も、再婚しなかった人も、結婚しなかった人も、みんな復活の時には、神さまの胸に抱かれている恵みをはっきり知る。このことについてある牧師が語っていました。「いろいろな夫婦がいる。『人はめとることも嫁ぐこともなく』を寂しく思う夫婦もいる。逆に夫婦間に問題があって復活してまで、いっしょにいたくない、そう思っている夫婦もいる。けれども復活のときには、新しい関係が与えられる。この世では罪や弱さによる問題があるが、そこから解放されて、今ある人間関係が完成するのだ。それは一対一の夫婦関係だけではない。結婚しなかった人、複数の人と結婚した人も、それらのことを超えた新しい、祝福された関係が与えられるのだ」と。私もそう思います。復活のときには神さまの胸に抱かれてみんなが新しく生かされ、悲しみかから解き放されるのです。

【生きている者の神】

けれども主イエスはけっしてサドカイ人を言い負かそうとしたのではありません。復活のいのちへと招かれたのです。『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』(26)は出エジプト記3章。サドカイ人もよく知っていたモーセ五書にあります。

私たちはここを普通、「わたしはアブラハムとイサクとヤコブに現れ、彼らを導いた神だ」と神さまの自己紹介のように読んでいると思います。それもまた神さまの恵みを感じる読み方ですが、ここで主イエスは「死人がよみがえることについては」(26)と始め、また「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神です。」(27)と、復活を語っています。つまり、神さまが「わたしはアブラハムの神」と言うとき、神さまは「わたしはアブラハムを復活させる神。今は眠りについているがやがて目覚める彼の神である。」と語っているのです。アブラハムは、天にいる御使いたちのように、今、神さまの胸に抱かれているのです。いつも申し上げることです。人は生きたように死に、死んだように復活します。神さまはアブラハムに現れ、アブラハムに信仰を与え、アブラハムを導きました。けれどもそれだけではありません。アブラハムをご自分の胸で生きさせ、ご自分の胸で死なせ、ご自分の胸で復活させるのです。それがアブラハムの神なのです。

【アブラハムの神、あなたの神】

神さまは、ご自分を「アブラハムの神」と呼んだように、私たちの名も呼んでくださいます。神さまはご自分を、「大頭眞一の神」と呼んでくださる。神さまは大頭眞一に現れ、大頭眞一に信仰を与え、大頭眞一を導きました。けれどもそれだけではありません。大頭眞一をご自分の胸で生きさせ、ご自分の胸で死なせ、ご自分の胸で復活させるのです。それが大頭眞一の神なのです。

先週、入院中の方にメールを送りました。イザヤ書43章のみことばを書きました。「恐れるな。わたしがあなたを贖ったからだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたは、わたしのもの。」(2)です。神さまに名前を呼ばれ人は神さまのものです。そして神さまが「わたしはあなたの神だ。あなたはわたしの胸で永遠に生きる」と言ってくださるのです。

【復活の日の幸福、今ここでの幸福】

サドカイ人はこの世のおける幸福を守ろうとしました。そして目の前にいるいのちを与えるお方を見のがしました。けれども私たちは知っています。主イエスは、私たちの現在の苦しみにも意味を与えます。悩みのある結婚生活は、復活の日に完成する夫婦関係への途上です。結婚していない人、再婚した人も、みなそれぞれの人間関係の完成への途上にあります。そのことをすでに知り、主イエスの復活のいのちによって、愛を注ぎ合うことができる私たちこそが、ほんとうに幸福な人びとなのです。そんな互いをこの朝も喜びましょう。