2021年4月25日の説教要旨

2021年4月25日
第四主日礼拝 説教
「神の国へ招くお方」
マルコの福音書12章28-34節

【一人の律法学者】

受難週の火曜日のできごとが続きます。復活がないと言い張るサドカイ人に、復活のときの人間関係の完成を指し示した主イエス。それを見て、ひとりの律法学者が近づいてきます。彼も復活を信じるパリサイ人です。律法学者というのは、人びとに律法を守って生活するためのアドバイスをする人。当時、律法にはモーセ五書以外の言い伝えも含め六百以上もの掟がありました。それらを守るために生活のさまざまな場面で、どのように選択するべきなのか。律法学者は人びとの相談に答える役割だったのです。ここまで主イエスに論争をいどんだのは、みな敵意を持った人びとでした。けれども、この一人の律法学者は真剣。律法学者ですから律法に精通していましたが、その律法を貫く神さまのお心を知りたいと願いました。

【二つの「第一の戒め」】

この人の「すべての中で、どれが第一の戒めですか。」(28)という真剣な質問に対して、主イエスもまた真剣にお答えになりました。神さまのお心を語ったのです。神さまのお心は、私たちが神の子として、神と同じ心で生きること。このことは創世記1章と2章を見ればよくわかります。1章と2章は決して創造が2回あったといっているのではありません。1章は神のかたちに創造された私たちが、神さまを愛することを喜ぶ神のお心。2章はたがいに助け手として創造された私たちが、たがいを愛することを喜ぶ神のお心。同じように主イエスは私たちが創造された意味を語りました。神との愛、人との愛に生きる。これこそ私たちが創造され、生きている意味です。この二つの意味はひとつの生き方。神さまが愛を注いで神と人との関係を支える。私たちは人との関係、仲間との愛の交わりを通して、神を指し示し合い、神との関係がなお深められる。分けることができないのです。

【第一の戒め】

「『聞け(シェマー)、イスラエルよ。主は私たちの神。主は唯一である。あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』」(29-30)は申命記6章の引用。シェマーと呼ばれる部分で、イスラエルの人びとが毎日祈りに用いていた箇所です。「主は唯一である。」は愛の告白です。愛する人に向かって「あなたは私のただひとりの妻(夫)です」と言うように。ある牧師が言っています。「愛するというのは、ただ好きだ、好意を持っているというようなことではなくて、人と人、人格と人格との、時としてぶつかり合い、火花が散るような関わりでしょう。神の民は、ただ一人の主なる神さまとの間にそのような人格的な深い関りを持って生きるのです」と。神とのぶつかり合いと言うとびっくりしますが、ヨブを見るとよくわかります。主イエスは「心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして」と、私たちが全存在で、神さまと人格的に神さまと関わって生きることへと招かれたのでした。

【第二の戒め】

第二の戒めは「『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。』」(31)。レビ記19章18節です。この愛もやはり、人格的に関わって生きることです。けれども愛することは簡単なことではありません。私たちが愛することを妨げるものがあります。私たちのたどってきた人生から受けた、恐れや傷、痛みなど。これらは私たちが、神と人を愛することから尻込みさせたり、相手の一言に反応させて怒りをかきたてたりします。この律法学者は主イエスの言葉を聴いて「まさにそのとおりです。」(32)と答えました。そのような神さまのお心を生きたいと願ったのです。

【十字架と復活によって】

そんな彼に主イエスは「あなたは神の国から遠くない。」と励まします。遠くはないのですが、到達はしていません。この人には他になにが必要なのか。答は主イエスの十字架と復活。この四日後の十字架とそのまた三日後の復活によって、主イエスは私たちを癒し、仲間を与え、神と人とに存在をあげて関わるいのちを与えてくださいました。もう私たちのうちにそんな生き方は始まっています。始まって成長しています。