2021年5月2日の説教要旨

2021年5月2日
第一主日礼拝
説教「メシアなるお方」
マルコの福音書12章35-37節

【主イエスの問い】

受難週の火曜日のできごとがさらに続きます。ここまでは、祭司長たち、パリサイ人、ヘロデ党、サドカイ人、律法学者たちが主イエスに質問してきました。しかし、今日の箇所では主イエスが質問します。それは根源的な問いでした。その問いとは「どうして律法学者たちは、キリストをダビデの子だと言うのですか。」(35)です。

キリストとはメシア、すなわち救い主。律法学者たちは、キリストはダビデの子(ダビデの子孫)だと言っていました。それはちっともおかしなことではありません。旧約聖書は一貫して、ダビデ王の子孫として、救い主が生まれることを語っています。それは新約聖書も同じです。マルコ10章47節でも目の見えないバルティマイが「ダビデの子のイエス様」と叫んでいます。ですから、主イエスを「ダビデの子」と呼ぶことが間違っているのではありません。主イエスが問題にされたのは、主イエスに敵対する者たちの心でした。

【律法学者たちの心】

イエスに敵対する律法学者たちが「キリストをダビデの子だ」と言うのは、主イエスがキリスト(救い主)であることを否定するためでした。主イエスを養ったヨセフはダビデの子孫でした。その意味では、主イエスはダビデの子孫です。ところが律法学者たちは、聖霊によるマリアの処女懐胎を信じませんから、主イエスをマリアの不義密通による子だとみなしていたようです。ヨセフの子ではない、と。ですから彼らは、主イエスがキリスト(救い主)であることを否定するために、悪意をもって「キリストはダビデの子だ。キリストはダビデの子孫から生まれる。ダビデの子孫でなければキリストではない」と言ったのでした。

【主イエスの心】

主イエスはそんな律法学者たちの心に語りかけます。彼らの心が変えられるように招くのです。彼らは、主イエスがキリスト(救い主)であるかを判定するのは自分たちだと思っていました。けれどもキリストは、そんな姿勢、そんな心を問題にしました。それが「ダビデ自身が、聖霊によって、こう言っています。『主は、私の主に言われた…』」(36)です。これは詩篇110篇からの引用。ダビデの作とされている詩篇です。ダビデは自分の子孫からキリストが生まれることを知って「私は偉大だ。私の子孫から救い主が生まれるのだから」とは言いませんでした。そうではなくてその救い主を「私の主」と呼びました。ダビデは自分の子孫である救い主を自分に従属させるのではなく、来るべきキリストを自分の主と呼んで自分が従属したのでした。

自分がキリストを従属させるか、それとも、キリストに自分が従属するか、このことは私たちにも問われています。主イエスが私たちのどれぐらい役に立つか、願いをかなえてくれるか、また、どれくらい平安や慰めを与えてくれるか。それによって主イエスがキリスト(救い主)であるかどうかを判定することは、自分にキリストを従属させることです。自分が上に立つことです。そういう心は、願いが聞かれなければ、たちまち主イエスが救い主であることを忘れてしまいます。けれども主イエスは救い主です。願いを聞いてくれないように思えるときも、私たちを私たちが願う以上に根本から救うのです。私たちの心を変えつつ、私たちのほんとうの心底からの願いを見つけ出し、かなえてくれるのです。

【十字架と復活によって】

詩篇110篇で告げられているのは「あなた(救い主であるダビデの子孫、すなわち主イエス)は、わたし(父なる神さま)の右の座に着いていなさい。わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまで。」(36)です。使徒信条に「…十字架につけられ、死にて葬られ、陰府(よみ)にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり…」とあります。主イエスは十字架の上で、敵である罪の力を滅ぼし、死の力を蹴破って復活しました。今、私たちはその勝利に与りつつ、世界の破れをつくろっています。やがて主イエスがもう一度来られて、世界の破れを完全に回復してくださるのです。主イエスは敵対する律法学者たちをも、この勝利に招かれました。「あなたがたも救い主であるわたしに従属しなさい。そうするなら、わたしの勝利に与ることができる。さあ、ともに世界の破れをつくろおう」と。私たちはもうすでに主イエスのそんな招きに応じたひとりひとりです。そのことを喜びましょう。

先週は92歳の姉妹を父なる神さまのみもとにお返ししました。ごく少数のご家族と感謝の礼拝を持ちました。式辞の中で私は四つの驚きを語りました。

(1)姉妹が不思議なように八幡市に送られたこと

(2)姉妹の生涯を通して、いつも見守りケアする人びとがいたこと

(3)姉妹には不思議な愛らしさがあったこと

(4)姉妹が81歳のときにイエスを受け入れたこと

姉妹の信仰告白が残っています。

恵み深い父なる神さま

私の心に自分勝手に生きてきた過去があります。これらの罪をおゆるし下さい。イエス様が十字架で流された血潮によりこれらの罪がゆるされた、と信じます。イエス・キリストを私の救い主として受け入れます。

 〇年〇月〇日      本人署名

皮肉な人なら、「本人がちゃんとわかって書いたのか?」と言うかもしれません。もちろんこの文章はお嫁さんが書いたものです。「お世話になっているからサインしたのだろう」と考える人もいるでしょう。私も老姉妹がすべてを理解していたとは思いません。けれども、老姉妹が自分の中にも破れがあることに気づいて痛んでいたことは事実です。そして、そこに、主イエスが言葉を超えて届いてくださり、招いてくださった。老姉妹もその主イエスの手をそのときつかんだのだと思います。姉妹の生涯の四つの驚きは、四つの感謝です。それはそのまま明野キリスト教会の驚きであり、感謝であり、喜びです。「大勢の群衆が、イエスの言われることを喜んで聞いていた。」(37)その中に、この姉妹がいます。私たちがいます。