2021年5月23日の説教要旨

2021年5月23日
ペンテコステ主日礼拝
説教「再び来られるお方」
マルコの福音書13章14-27節

【荒らす忌まわしいもの】

先週の箇所で「最後まで耐え忍ぶ人は救われます。」(13)と励ました主イエス。これから起こる苦しみをあらかじめ知り、自分の力で備えようとするのではなく、苦しみの中で、その苦しみを用いて、世界の破れを回復させてくださる主イエスと共に働くようにと。この励ましは今日の箇所でも続きます。

世界が経験する苦しみの頂点は「『荒らす忌まわしいもの』が、立ってはならない所に立っている」ことです。これはダニエル書からの引用。「彼の軍隊は立ち上がり、砦である聖所を冒し、常供のささげ物を取り払い、荒らす忌まわしいものを据える。」(ダニエル11:31)と「常供のささげ物が取り払われ、荒らす忌まわしいものが据えられる時から、千二百九十日がある。」(12:11)とあります。これは実際に紀元前167年に当時ユダヤを支配していたシリアのアンティオコス4世エピファネスが、エルサレム神殿の祭壇にギリシアの神ゼウス像を立てたことを指しています。世界が経験する苦しみのすべての根本はここにあります。神の支配を否定し、人間が神であるかのように支配しようとすること、そこからすべての苦しみが生じているのです。それは、紀元前の時代のことばかりではありません。現在も神の支配を否定し、人間が神であるかのように支配しようとすることから出た苦しみに、私たちがうめいています。将来の世界の苦しみもまた、神の支配を否定し、人間が神であるかのように支配しようとすることから起こります。「それらの日には、神が創造された被造世界のはじめから今に至るまでなかったような、また、今後も決してないような苦難が起こるからです。」(19)とあります。けれども間違えてはいけません。主イエスは、これから起こる苦しみをあらかじめ知り、自分の力で備えよ、と言っているのではありません。その苦しみの中で主イエスに信頼せよ、と言うのです。「ユダヤにいる人たちは山へ逃げなさい。」(14)とあります。世界をおおう前代未聞の苦しみの中では、どこにも逃げ場がないように思えます。けれども主イエスが「逃げなさい」と言う以上、逃れる道も備えられています。「深呼吸して、祈って、探す」のです。今の苦しみの中でも、世の終わりの苦しみの中でも。

【神の選び】

神は必ず逃れる道を備えてくださる。そのことの別の表現が「もし主が、その日数を少なくしてくださらなかったら、一人も救われないでしょう。しかし、主は、ご自分が選んだ人たちのために、その日数を少なくしてくださいました。」(20)です。これは例えば、一年間続くはずの終わりの時の苦しみを、神さまが半年に縮めてくださる、という意味ではありません。そもそも「その日数を少なくしてくださいました」と、すでに与えられた恵みとして記されています。主イエスの十字架と復活によって、逃れの道はすでに開かれています。主イエスの復活によって、ある意味で終わりの時代は始まっています。もうすでに始まっている終わりの時代の中で、私たちには逃れの道が開かれています。それが、ペンテコステの聖霊によって建てられた教会です。教会は建物でも、組織でもありません。私たちが教会です。仲間たちとともに主イエスのからだとして生きる私たちのうちにいのちは注がれ続けます。そのとき必要な知恵と愛を注がれるのです。

「選ばれた人たち」も誤解されやすい言葉です。自分は神に選ばれていないのではないかと不安になったり、あの人は選ばれているのか、この人はどうか、と詮索するのは見当違いです。聖書が「選び」という言葉で語るのは「立派でない私が救われたのは、神さまが自分を選んでくださったとしか言いようがない」という驚きです。ただ神さまのあわれみによって、教会に加えられた私たちは主イエスの再臨を待ち望みます。「 そのとき人々は、人の子が雲のうちに、偉大な力と栄光とともに来るのを見ます。そのとき、人の子は御使いたちを遣わし、地の果てから天の果てまで、選ばれた者たちを四方から集めます。」(26-27)とある、そのときまで、主イエスに励まされ、たがいに励まし合うのです。