2021年5月30日の説教要旨

2021年5月30日
第五主日
礼拝 説教
「目を覚まさせるお方」
マルコの福音書13章28-31節

【いちじくの木のたとえ】

マルコの13章を続いて読んでいます。主イエスはこの世の終わりについて、何がいつどのように起こるかを教えているのではないことを語ってきました。終わりの時代の苦しみの中で、主イエスを仰ぎ、主イエスと共に、世界の破れをつくろうことを励ましておられるのだと。今日の箇所でも主イエスの励ましは続きます。主イエスは「いちじくの木から教訓を学びなさい。枝が柔らかくなって葉が出て来ると、夏が近いことが分かります。」(28)と言います。いちじくは夏前に葉が出る、そしたら夏が来る。そのように歴史は進んでいきます。数日後に迫った主イエスの十字架と復活を通って、歴史は大きく動きます。神の国は前進し、世の終わりに向かって、世界の回復が進められていくのです。けれども、ここでも注意が必要です。繰り返しになりますが、主イエスは、この世の終わりについて、何がいつどのように起こるかを教えているのではありません。終わりの時代の苦しみの中で、主イエスを仰ぎ、主イエスと共に、世界の破れをつくろうことを励ましておられるのです。

【これらのことが】

主イエスは「同じように、これらのことが起こるのを見たら、あなたがたは、人の子が戸口まで近づいていることを知りなさい。」(29)と言います。「これらのこと」とは、ここまでに記されている戦争や戦争のうわさ、地震や飢饉、迫害など。「これらのことが起こったら、再臨は近いのだ」と主イエスは言ったのです。

けれども、たびたびの繰り返しになりますが、主イエスは、この世の終わりについて、何がいつどのように起こるかを教えているのではありません。終わりの時代の苦しみの中で、主イエスを仰ぎ、主イエスと共に、世界の破れをつくろうことを励ましておられるのです。

そもそも、戦争や戦争のうわさ、地震や飢饉、迫害などは、マルコの福音書が記された時代にもありました。21世紀の今もあります。だからもうすでに終わりの時代は始まっています。主イエスとともに神の国が来て、その歴史は終わりに向かって進んでいるのです。ですから「人の子が戸口まで近づいていることを知りなさい。」という主イエスの言葉は、未来の人びとに語られているのではありません。主イエスの言葉を直接聴いた人びとにも、また私たちにも語られているのです。世の終わりとそれに続く再臨を意識して生きるように、と。またまたの繰り返しになりますが、もう一度だけ言わせてください。主イエスは、この世の終わりについて、何がいつどのように起こるかを教えているのではありません。終わりの時代の苦しみの中で、主イエスを仰ぎ、主イエスと共に、世界の破れをつくろうことを励ましておられるのです。

主イエスは、「世の終わりが近いから、日常生活をおろそかにしても、祈りに専念しなさい」とは言われません。逆に「世の終わりが近いから、自分のやりたいことを好きなだけ楽しもう」というのも論外なのです。

【リンゴの木を植える】

この世の終わりと主イエスの再臨を覚えて生きる生き方をよく表す言葉があります。ルターによると言われている「たとえ明日この世が終わるとしても、私は今日リンゴの木の苗を植える」です。リンゴの木の苗を植えることは地道な仕事です。すぐに実がなるわけでもありません。けれども神さまがその苗を用いてくださることを信じて植えるのです。「明日この世が終わるとしても」は「明日死ななければならないとしても」に置き換えることもできます。「たとえ明日死ななければならないとしても、私は今日リンゴの木の苗を植える」となります。この世の終わりと再臨を覚えて生きる生き方は、実は、自分の死を覚えて生きる生き方です。そこを貫くのは神さまへの信頼です。

【消え去ることのないことば】

けれども私たちには、神さまへの信頼を死ぬまで持ち続ける自信などありません。その必要もないのです。なぜなら、神さまが私たちの信頼を支えるからです。「天地は消え去ります。しかし、わたし(イエス)のことばは決して消え去ることがありません。」(31)と主イエスは言います。「わたしのことば」は単なる言葉ではありません。「わたしの思い」「わたしの心」です。主イエスの思いと心は、天地創造のその前から再臨と万物の回復のその後を永遠に貫いて、変わることがありません。主イエスの思いと心を占めているのは、すべての被造物、とりわけ私たちへの愛です。その愛が、私たちを支え、リンゴの木の苗を植える生き方をまっとうさせるのです。