2021年7月4日の説教要旨

2021年7月4日
第一主日礼拝
説教「先に行くお方」
マルコの福音書14章27-31節

最後の晩餐が終わりました。「そして、賛美の歌を歌ってから、皆でオリーブ山へ出かけた。」(26)のです。暗い夜道の道すがら、主イエスは弟子たちのこれからを思い、「あなたがたはみな、つまずきます。」(27)と言いました。これから通らなければならない暗い試練の中で、弟子たちが転んで主イエスについて行くことができなくなると語ったのです。大きなあわれみをこめて。

【打たれる羊飼い】

 私たちはこう聞くと、「つまずかないようにしなければ。もっとしかりしなければ。祈って、信仰を強くして。」と思いがちです。けれども、主イエスはここで「『わたしは羊飼いを打つ。すると、羊は散らされる』と書いてあるからです。」(27)とゼカリヤ13章を引用しました。次のようにあります。

13:7 剣よ、目覚めよ。わたしの羊飼いに向かい、わたしの仲間に向かえ──万軍の【主】のことば──。羊飼いを打て。すると、羊の群れは散らされて行き、わたしは、この手を小さい者たちに向ける。

ゼカリヤ書で、羊の群れはイスラエルの民。神が民の羊飼いを打って、群れを散らすのです。ですから主イエスはもうそこに迫った十字架は、父なる神がご自分を打たれるのだ、と言うのです。すると弟子たちがつまずくのは、神さまのせいだとも言えることになります。もちろんそこには目的があります。ゼカリヤ書の続きはこうです。

13:8 全地はこうなる──【主】のことば──。その三分の二は断たれ、死に絶え、三分の一がそこに残る。

13:9 わたしはその三分の一を火の中に入れ、銀を錬るように彼らを錬り、金を試すように彼らを試す。彼らはわたしの名を呼び、わたしは彼らに答える。わたしは『これはわたしの民』と言い、彼らは『【主】は私の神』と言う。」

 羊飼いが打たれ、民は散らされるのですが、その試練を通して、「わたしの民」と呼ばれ、「私の神」と応えるまことの民を、もう一度、神さまが興されるのです。

 この夜、主イエスは捕らえられ、翌日には十字架で打たれて、弟子たちは散らされます。けれども、そんな弟子たちのつまずきも神さまの支配の外にあるのではないのです。神さまのみわざは弟子たちのつまずきをも包み込んで進んでいきます。つまずきの先にまことの信仰者の群れが興されるのです。つまずいて倒れたままでいるのではなく、主イエスがもう一度立たせてくださるのです。

【先にガリラヤへ】

主イエスは「しかしわたしは、よみがえった後、あなたがたより先にガリラヤへ行きます。」(28)と言いました。主イエスは弟子たちがみんなつまずき、足取り重く、故郷のガリラヤへ帰っていくことをご存じです。けれども、それで終わりではありません。主イエスが先にガリラヤに行って、待っていてくださるからです。故郷ではだれも歓迎してくれなかったかもしれません。けれども、イエスが迎えてくださいました。喜んで迎えてくださったのです。ガリラヤは彼らが弟子として最初に出発した地。もう一度、主イエスが再出発させてくださいます。私たちも同じです。何度でも、何度でも、何度でも。

【たとえ皆がつまずいても】

けれどもペテロは「たとえ皆がつまずいても、私はつまずきません。」(29)、「たとえ、ご一緒に死ななければならないとしても、あなたを知らないなどとは決して申しません。」(31)と力を込めて言い張りました。ペテロは自分が裏切らないと本気で思っていたのでしょう。「どうして主イエスはこんなことを言うのだろう」と。ところがペテロは主イエスを裏切りました。三度、つまり、徹底的に主イエスとの関係を否定してしまいました。

ペテロは自分には主イエスに従う力があると思いました。けれども従えませんでした。では、ペテロは主イエスに従いぬくことができる力を身に着けるべきだったのでしょうか。私たちも、もっと強くなるべきなのでしょうか。もちろんちがいます。私たちは主イエスに背負われています。特に苦しみや悲しみ、試練のときこそ背負われています。足跡(フットプリント)という詩をごぞんじでしょう。主イエスが私たちを背負ってくださっているのです。

足跡(Footprints) 

作者:マーガレット・F・パワーズ

ある夜、彼は夢を見た。それは主とともに海岸を歩いている

夢だった。その時彼の人生が走馬灯のように空を横切った。

その場面場面で彼は砂浜に二組の足跡があることに気がついた。ひとつは主のもの、そしてもうひとつは自分のものであった。

そして最後のシーンが現れた時、彼は砂浜の足跡を振り返って見た。すると彼が歩んできた今までの道の多くの時に、たったひとつの足跡しかないことに気がついた。そしてそれはまた彼の人生で最も困難で悲しみに打ちひしがれているときのものであることに気づかされた。

彼はこのことでひどく悩み、主に尋ねた。「主よ、かつて私があなたに従うと決心した時、あなたはどんな時も私とともに歩んでくださると約束されたではありませんか。でも私の人生で最も苦しかった時、ひとつの足跡しかありません。私が最もあなたを必要としていた時、どうしてあなたは私を置き去りにされたのですか?私には理解できません。」

主は答えられた。「私の高価で尊い子よ、私はあなたを愛している。決して見捨てたりはしない。あなたが試練や苦しみの中にあった時、たった一組しか足跡がなかったのは私があなたを携え歩いていたからです。」