2021年7月25日の説教要旨

2021年7月25日第四主日明野すさみ合同礼拝 説教「救い主であるお方」 マルコの福音書14章53-65節

本日は合同礼拝。明野キリスト教会とすさみ教会が心を合わせて献げるこのときに、主イエスの恵みはいっそう鮮やかであることを信じます。今日はマルコ14章。ここで主イエスはこれまで世界で発せられた最も大切な言葉を語られました。大祭司が「おまえは、ほむべき方の子キリストなのか。」(61)と訊ねたのに対し、「わたしが、それ(キリスト)です。」(62)と答えたのです。この言葉をしっかりと聴き取りたいと思います。

【真夜中の憎悪】

時は真夜中、それにもかかわらず「人々がイエスを大祭司のところに連れて行くと、祭司長たち、長老たち、律法学者たちがみな集まって来た。」(53)のでした。彼らのこの熱心は、朝になって正式な裁判が始まる前に主イエスに対する不利な証言を集めるため。けれども「多くの者たちがイエスに不利な偽証をしたが、それらの証言が一致しなかった」(56)とあります。

それらの証言の一つは「『わたしは人の手で造られたこの神殿を壊し、人の手で造られたのではない別の神殿を三日で建てる』とこの人が言うのを、私たちは聞きました。」(58)というものでした。これは捻じ曲げられた偽証でした。主イエスがほんとうに語られたことはヨハネの2章にあります。「この神殿を壊してみなさい。わたしは、三日でそれをよみがえらせる。」(ヨハネ2章19節)。主イエスの言った神殿とはご自分のことです。「わたしは十字架に架けられて死ぬが三日目に復活する。神殿は神を礼拝する場。復活したわたしにおいて、あなたがたは新しい礼拝を献げるようになる。あなたがたが神の子となり、父を愛する群れ、教会となる。そのためにわたしは来たのだ」と語られたのでした。

これを聞いた大祭司たちは主イエスを憎悪しました。表面的にはエルサレム神殿への冒涜(ぼうとく)、神のための怒りです。けれども実際には、エルサレム神殿の祭司、ユダヤ人たちの宗教的指導者としての自分たちの立場や地位を守ろうとする思いがありました。人は自分のなにかを守ろうとするとき、それを脅かすと感じた人に激しく敵対します。私たちも、自分を軽んじると感じた人などに激しいい憎悪をかきたてられることがあります。もちろん主イエスはそんな憎悪にも届いてくださいます。私たちの憎しみをそのままにしていくことはなさらないのです。

【最も大切な言葉】

大祭司たちがイエスに不利な証言を得ようとした試みは失敗しました。人間たちは主イエスを罪に定めることができなかったのです。けれども主イエスは十字架に架けられました。ご自分で十字架を選ばれたのです。それが「わたしが、それ(キリスト)です。」(62)という言葉。この言葉によって、主イエスはご自分で十字架を選び取りました。私たちのために。

ここまでたびたび、主イエスは病を癒し、悪霊を追い出し、死者を生き返らせるなどさまざまな大きなみわざを行ってこられました。そのたびに「だれにも言ってはいけない」と口止めしてこられました。けれども今、十字架を前にご自身が救い主であることを明らかにされました。主イエスは奇蹟を行い私たちの願いをかなえる神としてではなく、十字架に架けられる神として来られました。罪と死の力に支配されている私たちを解き放つために。たがいに恐れ、敵意を抱き、憎み合う私たちをそのままにしておくことがおできにならなかったからです。私たちが願うことさえしなかった、憎しみに代えて愛する自由を与える救い主として。

明野キリスト教会では、毎週「一年12回で聖書を読む会」という伝道を行っています。今はオンラインで。先週は、創世記からヤコブの一族に起こったできごとをたどりました。そこには何とも恥ずべき罪の記録がしめされています。しゅうとのユダと関係を持ったタマルのことなど。けれどもマタイの福音書を見るなら、このタマルも主イエスの系図に組み込まれています。主イエスは罪ある私たちの中に入り込んでくださったのでした。

「人にはだれにも言えない、親にも言えない心の一隅がある。そこで神が会ってくださる。」と言った人がいます。自分でも恥ずかしい、思い出すとおかしくなりそうな愛なき思いと言葉と行動が私たちにはあります。けれどもそこでこそ神は私たちに会ってくださいます。私たちを受け入れ、赦し、回復させ、良心の責めも癒してくださるのです。それが天からのはしごを降りて来てくださった主イエスの救いです。

【過去・現在・未来の救い主】

主イエスがどのような救い主であるかは使徒信条が簡潔に語っています。

ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。かしこより来たりて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。

主イエスは私たちの愛なき思いと言葉と行動を十字架の上で引き受け、赦しを得させてくださいました。私たちの過去を救ったのです。

主イエスは復活して父の右に座して、共に支配し、私たちに愛を注いでくださっています。その愛の中で私たちの恐れ、敵意、憎しみはいやされつつあります。私たちの現在を救ってくださっているのです。

夜中の審きの場で、主イエスは「あなたがたは、人の子(主イエス)が力ある方の右の座に着き、そして天の雲とともに来るのを見ることになります。」(62)と言いました。その再臨のとき私たちは、まったく罪とその病から癒され、いつまでも喜びの宴の中にいることになります。私たちの未来の救いです。

そのときまで、私たちはたがいを愛し合いつつ、世界の回復を目指します。そのためには主イエスのみ言葉を何度も何度も聴くこと、み言葉の湯治がたいせつです。そして仲間と愛し合うリハビリ。今日は午後、すさみの何人の方がたと共に、愛し合うためのリハビリを学ぶ予定です。どうか私たちが愛し合うことにおいて熟練し続けることができますように。