2021年8月22日の説教要旨

2021年8月22日第四主日礼拝 説教「死なれたお方」 マルコの福音書15章33-41節

「さて、十二時になったとき、闇が全地をおおい、午後三時まで続いた。」(33)とあります。「彼らがイエスを十字架につけたのは、午前九時であった」(25)ともありますから、6時間におよぶ苦しみが十字架の上で続いていました。「闇が全地をおおい」は日食のことかもしれません。実際にこのころの日食を計算して、十字架の日時を確定しようとする研究はずっと行われてきました。けれども、それよりもたいせつなことは、世界を悪の力がおおっていて、闇はそのことを表わしているということです。

【世界をおおう闇】

 主イエスは神、人となられた神の子です。その神が十字架の上で苦しめられています。そこであらわになったのは、ピラトの保身、祭司長たちのねたみ、群衆の無知ゆえに憎しみなどの闇でした。悪の力は存在します。その力は創世記3章でアダムとエバの弱さを通して働いたように、私たちの無知と弱さを通して働きます。その結果が罪なのです。

 アフガニスタンがたいへんなことになっていて、心を痛めています。元はといえば、1979年のソ連侵攻と続く内乱、タリバーンの台頭と9.11テロとアメリカの報復による紛争といった歴史をたどってきました。すべての戦争・紛争の目的は平和や安全なのでしょう。タリバーンというのも「神学生」という意味で、もともとは非暴力の立場にたっていたと聞いたことがあります。けれども、私たちの憎しみや恐れといった弱さを通して悪の力は働きます。そして泥沼のような連鎖を引き起こしていくのです。そんな泥沼の中で中村哲医師が倒れたことも、また記憶に新しいところです。けれども、悪の力の支配は、なにも国際情勢に限ったことではありません。私たちの間の愛なき無関心やいさかいといった痛みもまた、私たちの無知や弱さを通して働く悪の力によるものです。無知とは神さまにどこまでも愛されていることを知らない無知、弱さとは恐れや自分と他人を認めて受け入れることができない自己評価の低さなどの弱さです。

【わが神、わが神】

 主イエスは十字架の上で七つの言葉を語ったとされています。四つの福音書の記事を合わせるとそうなるのですが、マタイとマルコはそのうちのただ一つの言葉しか記録していません。それが34節の「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」(訳すと「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」)です。マルコはこの言葉だけはどうしても伝える必要があると考えたのでした。

 この言葉は詩篇22篇からの引用です。

22:1わが神わが神どうして私をお見捨てになったのですか。私を救わず遠く離れておられるのですか。私のうめきのことばにもかかわらず。

22:2 わが神昼に私はあなたを呼びます。しかしあなたは答えてくださいません。夜にも私は黙っていられません。

  この詩篇を読み進めて行くと、

22:4  主は貧しい人の苦しみを蔑まずいとわず御顔を彼から隠すことなく助けを叫び求めたとき聞いてくださった。

 と、神はほんとうには見捨てることはなさらない、という信頼の告白になっていきます。けれども、主イエスの場合は「お見捨てになったのですか」でおしまいなのです。そこがちがいます。このことはキリストを受け入れない人びとにとっては理解できないことでした。

 明治十年代、キリスト教伝道が始まったころ、反対する人びとがこんな歌が作ったのだそうです。

「最後に臨みてキリストは、天主(ゴッド)のうらみてな、泣き出す、この愚か者」と。彼らにとって主イエスは神を恨んで「なぜ、捨てたのか」と泣きながらみじめに死んでいった愚か者です。そんな愚か者を信じるクリスチャンは愚か者だ、とそうあざけったのでした。

 けれども、主イエスは神でした。子なる神が父なる神にほんとうに見捨てられたのでした。このことはあまりに大きすぎて私たちにはよくわかりません。わかっているのは世界をおおう闇の中で、悪の力の支配のもとにいた私たちを、キリストがあわれんでくださったということです。そして、キリストは悪の力を十字架に引きずり上げてそこに架けてしまわれた。ご自分を犠牲にして、ご自分ともろともに。そのとき世界をおおう闇が消えていくことになったのです。

【光の中を】

「しかし、イエスは大声をあげて、息を引き取られた。すると、神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。」(37-38)とあります。一年に一回だけ、大祭司だけが入ることができる至聖所。その幕が、主イエスの死とともに裂けました。だれもが神に近づき、神の子となるとびらが開かれたのです。主イエスの十字架によって。ローマの百人隊長さえも「この方は本当に神の子であった。」(39)と告白することができたのでした。

 神は光です。光のあるところ、闇は逃げ去ります。私たちは光の中で、罪を赦され、神の子として生き始めました。日々神さまを深く知って、無知は癒されていきます。日々仲間と愛し合うことで弱さや傷をカバーし合い、癒し合うことができます。

 十字架の主イエスは復活されました。そして私たちに世界の回復のために働くとびらを開いてくださいました。大きなことではありません。私たちが置かれた場所で、今日の最高の愛をていねいに生きるとき、そんな私たちを通して静かに世界は回復されていきます。回復されつつあります。