2021年8月29日の説教要旨

2021年8月29日
第五主日礼拝
説教「葬られたお方」
マルコの福音書15章42-47節

主イエスの葬りの箇所です。使徒信条には主イエスが「苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ」とあります。短い使徒信条が主イエスの「葬り」を書き落とすことができなかったのには理由があります。

【墓に葬られる絶望】

「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」(「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」)と叫んで、主イエスは息を引き取られました。絶望の死です。詩篇の中で最も暗い詩篇と呼ばれるのが88篇です。

88:5 私は死人たちの間に放り出され墓に横たわる刺し殺された者たちのようです。あなたはもはや彼らを覚えてはおられません。彼らはあなたの御手から断ち切られています。

墓に葬られた者は神の御手から断ち切られている、これが絶望です。使徒信条は主イエスがこの絶望をほんとうに味わったことを強調しているのです。

 先週は私たちの教会の愛するひとりの兄弟が天に召されました。大きな悲しみです。ほんとうに寂しいです。そんなとき私たちはふと「彼は私たちの心の中に生きている」と言ったりするかもしれません。気持ちはよくわかります。また「千の風になって」という歌がとても人気だったりします。あの「私のお墓の前で泣かないでください」という歌には、「人は死んでも墓の中にいるのではない、形を変えて、風になって愛する者たちを見守っている」のだと思いたい人間の願いが込められています。そこには死の支配による絶望を否定したいという願いがあります。

【死に対する神の怒り】

 けれどもそこには忘れられていることがあります。それは神さまの願いです。神さまは、私たちがご自分から断ち切られることを悲しんでおられます。そしてなんとしてでも、私たちを抱きしめたいと願っておられるのです。兄弟の葬儀では、コリント人への手紙 第一から語りました。

15:54   ……「死は勝利に吞み込まれた。」

15:55 「死よ、おまえの勝利はどこにあるのか。死よ、おまえのとげはどこにあるのか。

神さまは私たちがいとおしくて、死の支配による絶望の中にそのままにしておくことができません。だから死に勝利なさいました。主イエスを復活させることによって。死のとびらをけ破るよういして主イエスを復活させることによって。

 死はあたりまえのことではありません。異常なことです。私たちが愛する者たちと共にいることができないのは異常なことなのです。私自身も経験がありますが、愛する者が死ぬことは、私たちの一部分が死ぬことです。それも異常なことです。死は異常だということは、どうかお忘れにならないでください。死をなんとなく受け入れようとはしないでください。神さまはこの異常事態を正常に戻さないではおられないお方です。私たちが愛する者と共にいるようにさせてくださいます。私たちと愛する者たちが共に神の胸に抱かれるようにしてくださいます。

【労苦は無駄になることはない】

 いつも申し上げることですが、「人は生きたように死に、死んだように復活する」のです。神の胸に生きた人は神の胸で死に、神の胸で死んだ人は、神の胸で復活するのです。愛する兄弟は、7月に受洗し、この地上において、一か月余りをキリスト者として生きました。だから、彼はキリスト者として神の胸に生き、神の胸に死にました。だから神の胸に復活します。

 このことを悲しみの内にも神さまに感謝したいと思います。そして残された私たちで、たがいに愛し合い、支え合い、慰め励まし合って生きていきましょう。コリント人への手紙 第一の15章の締めくくりにこうあります。

15:58 ですから、私の愛する兄弟たち。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは、自分たちの労苦が主にあって無駄でないことを知っているのですから。

 愛し合いましょう。復活の主がそうさせてくださいます。私たちの労苦、とりわけ愛の労苦は決して無駄になることはありません。復活の主が私たちとともに働いてくださるからです。