2022年2月13日の説教要旨

2022年2月13日
第二主日礼拝
説教「活かす神」
ヨハネの福音書4章43-54節

スカルの町の人びとと二日間を過ごし、彼らに命の水を飲ませた主イエスは、ガリラヤへと向かわれました。

【人びとの歓迎】

主イエスが故郷のカナに着かれました「それで、ガリラヤに入られたとき、ガリラヤの人たちはイエスを歓迎したが、それは、イエスが祭りの間にエルサレムで行ったことを、すべて見ていたからであった。彼らもその祭りに行っていたのである。」(44)とあります。人びとは主イエスを歓迎したのですが、その理由は彼らがエルサレムでのできごとを見ていたからでした。そのできごととは2章の「過越の祭りの祝いの間、イエスがエルサレムにおられたとき、多くの人々がイエスの行われたしるしを見て、その名を信じた。」(2:23)のことです。神殿の宮清めの後、主イエスはいくつかのしるし、つまり奇蹟をなさいました。おそらくは病気の人びとをいやされたのでしょう。

エルサレムでそんな奇蹟を見た人たちが、主イエスがスカルに滞在している間に、先にガリラヤに帰っていました。そして主イエスの癒しの奇蹟を期待して待っていたのです。「イエスは再びガリラヤのカナに行かれた。イエスが水をぶどう酒にされた場所である。」(46)ともあります。ぶどう酒の奇蹟の記憶は、人びとの期待をさらに高めました。そして「さてカペナウムに、ある王室の役人がいて、その息子が病気であった。この人は、イエスがユダヤからガリラヤに来られたと聞いて、イエスのところに行った。そして、下って来て息子を癒やしてくださるように願った。息子が死にかかっていたのである。」(46-47)と続くのです。

【尊ばれない預言者】

ところが主イエスはこの父親に不思議なことを言います。「あなたがたは、しるしと不思議を見ないかぎり、決して信じません。」(48)。なんだか冷たい、突き放したようにも聞こえます。44節にも「イエスご自身、『預言者は自分の故郷では尊ばれない』と証言なさっていた。」とあります。

主イエスは人びとの心をごぞんじでした。みな、しるしや不思議なわざを期待して主イエスのところへやってきます。それを見たら信じるし、それがなされないなら主イエスに失望して去って行くのです。

【いのちを与える主イエス】

けれども、主イエスがこの世に来られたのは、私たちにいのちを与えるためです。神との愛の交わりのうちに生きるいのち、死の向こう側にまで続く永遠の愛の交わりに生きるいのちです。主イエスは、どうしてもこのいのちを与えたいのです。ですから、この父親に「あなたがたは、しるしと不思議を見ないかぎり、決して信じません。」と厳しく思える言葉を発せられたのでした。

しかし、この父親は、息子の癒しのことで頭がいっぱいです。永遠のいのちのことなど考えられません。いかに主イエスといえども、そんな状態の父親に永遠のいのちを与えることなど、できそうにありません。ところが、主イエスにはできました。なしとげられたのです。「イエスは彼に言われた。『行きなさい。あなたの息子は治ります。』その人はイエスが語ったことばを信じて、帰って行った。」(50)。このとき、父親は「どうしてもカペナウムに来て、息子を癒やしてください」と言い張り続けることはしませんでした。そうではなくてイエスが語ったことばを信じました。しるしと不思議を見ないで、信じたのです。信じることができたのは、主イエスがこの父親のこころに信仰を造り出してくださったから。「行きなさい。あなたの息子は治ります。」という主イエスの声を聞いたとき、この父親の心に、主イエスの愛が響きました。「わたしはあなたを愛する。あなたの息子も愛する。だから今、わたしの愛を受け入れなさい。わたしに愛のうちに行きなさい。そうしたら、わたしの愛を見るだろう。そして、ずっとわたしの愛のうちに生き続けなさい」と。こうして主イエスがこの父親のこころに信仰を造り出してくださいました。

私たちもしばしば主イエスとの愛の交わりを見失います。けれども心配はいりません。私たちの心を知る主イエスが、私たちのうちに信仰を造り出さしてくださいます。何度でも何度でも何度でも。