2022年5月15日の説教要旨

2022年5月15日
第三主日礼拝
説教「弟子とする神」
ヨハネの福音書1章35-42節

 今日の個所では、シモン・ペテロとその兄弟アンデレ、そしてもう一人が主イエスの弟子に。このできごとを通して、主イエスの弟子となるとはどういうことであるかが語られています。主イエスの弟子となった私たちも、主が私たちにしてくださったことを、たがいに確認し合いましょう。

【ヨハネの弟子からイエスの弟子へ】

「その翌日、ヨハネは再び二人の弟子とともに立っていた。」(35)とあります。このふたりはヨハネが「見よ、神の子羊」(36)と言うのを聞いてイエスについて行きました。イエスの弟子となったのでした。ヨハネの福音書では、このようにアンデレともうひとりの名前の記されていないひとが弟子となりました。他の福音書ではペテロとアンデレがガリラヤで主イエスに招かれて最初の弟子となっていますから、ヨハネの福音書とは大きく異なる描き方になっています。これを矛盾と見る必要はありません。それぞれの記述には意味があります。主イエスが私たちに生涯にしてくださることを、それぞれが異なる強調点で訴えているのです。

 ヨハネの福音書が強調するのはバプテスマのヨハネの役割です。彼の「見よ、神の小羊」という言葉が主イエスがふたりを弟子とする手助けになったのです。いつもお語りする通り、主語は神さま。人が主イエスに会うことができるのは、主語である神のわざです。けれども、神さまは人を通して働かれます。私たちも家族や友人といっただれかを通して主イエスへと招かれました。神さまは同じように、私たちを通して私たちのまわりのだれかに働かれます。私たち抜きでではなく、私たちを通して、私たちと共に働かれるのです。決算総会に向けて、信愛と明野の資料の準備を進めています。出席者名簿をチェックしていますと、召された方がたのことを思うのです。コロナの中で、どの方の葬儀もご家族だけで行われざるを得ませんでした。なんとも言えない思いです。けれどもこれらの人びとがキリストを受け入れ、キリストのいのちを生きていることに静かな喜びを感じます。こんな不思議を神さまがしてくださいました。神さまが家族や友だちといったキリスト者を通して、キリスト者と共に働いてくださったのでした。小さな私たちを通して、小さな私たちと共に。それが神さまの好むやり方なのです。

【何を求めているのですか】

そんな二人を振り向いて、主イエスは「あなたがたは何を求めているのですか。」(38)と訊ねました。主イエスは私たちを振り向いてくださるお方。そして私たちの望みをお訊ねくださる方です。

そんな主イエスへの二人の答は拍子ぬけがするようにも聞こえます。「私を救ってください」とか「世界を救ってください」ではなく、「どこにお泊まりですか。」(38)と訊ねたのです。しかし実は、この答はとてもよい答でした。彼らは、主イエスがどのようなお方かよくわからなかったのですが、それでもいっしょにいたいと願ったのです。

私たちも主イエスを受け入れたときには、主イエスについてそれほどよく知っていたわけではありません。頭の理解ではなく、むしろ心のうなずきを感じて、それもためらいながら、主イエスを受け入れました。けれども、主イエスはそのままにはしておかれません。私たちとじっくりと歩んでくださって、私たちの心の求めを呼び覚ましてくださいます。呼び覚まして実現してくださるのです。

私たちの中には、あの悩み、この苦しみを解決して欲しい、と願って教会に来た人もいます。けれどもしばらく教会に通ううちに気づかされます。教会に来たからといって、悩みや苦しみに対する直接の解決があたえられるわけではないのです。主イエスを信じたからと言ってすぐに病気が治るわけではないし、人間関係が急に改善されるわけでもありません。そういう意味では、私たちの求めは聞かれなかったことになります。けれども主イエスといっしょにいたいと願った二人のうち、アンデレは、兄弟であるシモン(ペテロ)に「私たちはメシア(訳すと、キリスト)に会った」(41)と言うのです。主イエスといっしょにいるうちに、主イエスがキリスト(救い主)であると気づきました。そしてアンデレの求めは「私はこの方によって救われたい。この方に世界を救って、世界の痛みをいやしていただきたい」という求めに変わっていました。主イエスといっしょにいることによって、主イエスが変えてくださいました。すでに変えられ、今も変えられ続けているたがいを喜ぼうではありませんか。