2022年6月26日の説教要旨

2022年6月26日
第四主日礼拝
説教「霊から生まれさせる神」
ヨハネの福音書3章1-10節

今日の箇所で主イエスは、「まことに、まことに、あなたに言います。」と二度繰り返します。これは主イエスがとてもたいせつなことを語るときに用いる言葉。「今から言うことは大事なことだからよく聞きなさい」というのです。私たちもこのたいせつなことを聴き取りましょう。

【新しく生まれなければ】

主イエスのたいせつなこととは「人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」(3)でした。主イエスは私たちが新しく生まれることを求めるのです。「神の国」というのは、死んでから行く天国ではありません。いま、この地上に始まっている神の支配。こうしているうちにも広がって、やがて完成する神の支配です。神の国を「見る」というのは、ただ傍観者として眺めることではありません。神の国に入ることです。神の支配の国に入って、神の支配を体験し、神の支配のもとで神と共に神の国を広げること、それが神の国を見ることです。主イエスは死んで天国に行くことができるために、信仰をもつよう努力しない、と言っているのではありません。「新しく生まれなさい。そしたら、今すぐの神の国に入ることができる」と言っているのです。

【どうしてそのようなことが】

けれどもニコデモには新しく生まれることも、神の国に入ることもわかりませんでした。彼は、旧約聖書に精通し、律法に従って生き、人びとにもそう教えていたパリサイ人。ユダヤ人の議員、すなわち大祭司を議長とする71人からなる最高法院のメンバーでもありました。当時としては最高の学識と道徳を備えたニコデモですが、それでも彼には新しく生まれることがわかりません。「人は、老いていながら、どうやって生まれることができますか。もう一度、母の胎に入って生まれることなどできるでしょうか。」(4)と言うのです。「新しく生まれる」を私たちは聞き慣れていますが、考えてみれば実に不思議なことばです。私たちがこのことをわかっていることのほうが不思議なのです。

【水と御霊によって】

私たちはなぜこの不思議なことがわかったのでしょうか。「人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることはできません。 肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。」(5-6)とあります。主イエスを知らない者、「肉によって生まれた者」には新しく生まれること、神の国に入ることはわかりません。「水(洗礼)と御霊によって生まれた者」だけがわかるのです。これは困ったことです。御霊によって生まれなければ、つまり、新しく生まれなければ、新しく生まれることはわからないのです。どんなに努力しても。これでは神の国の入り口は閉ざされているように見えます。

【風の音を聴け】

神の国への入り口は私たちが見つけるのではなく、主イエスが与えてくださいます。私たちにはわからない「霊」を、主イエスは風にたとえて教えました。「風は思いのままに吹きます。その音を聞いても、それがどこから来てどこへ行くのか分かりません。御霊によって生まれた者もみな、それと同じです。」(8)と。風は私たちの思いや予測や常識を超えて、また、私たちの努力とは関係なく、自由に吹いてきます。霊(欄外註を参照。風と霊は同じプネウマという語)も同じです。私たちの思いや予測や常識を超えて、また、私たちの努力とは関係なく、自由に働いて、そして、私たちを新しく生まれさせます。ふりかえってみれば、まさに私たちもそのように新しく生まれたのでした。私たちがしたのは風の音を聴こうとしたこと。神さまの私たちへの招きを期待して心を開いて耳を傾けたことです。

【神の大きな物語の中で】 これがわからなかったニコデモに主イエスが「あなたはイスラエルの教師なのに、そのことが分からないのですか。」(10)と言ったのは重要です。教区では、鎌野直人師から神の壮大な計画を学んでいます。神さまは傷ついてしまったこの世界を回復しておられます。その計画の要がイスラエルであり、そこから出た主イエスです。旧約聖書に通じたニコデモこそがこの大きな計画を知り、神さまと共に生き、人びとを招くべきだったのです。幸いなことにニコデモは新しく生まれることができました。十字架に架けられた主イエスの葬りに尽くしたのです。私たちもまた御子のご降誕と十字架に与りました。神の国に入り、神の国のために働くものとされています。置かれたそれぞれの場所で。